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〝原爆を知らない子どもたち〟の自戒の唄 その1

【25】[原爆を許すまじ」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ

 今回は、敗戦から75年目の夏ということで、「原爆と唄」をテーマに取り上げようと思い、広島と長崎ゆかりの友人に「残暑見舞い」を兼ねて予備取材を試みた。

 75年前の8月、広島と長崎の上空で原子爆弾が炸裂して以来、この地を襲った厄災をめぐって数多くの唄が創られ、うたい継がれてきたが、その中の代表的シンボルソングは何か? そう尋ねたところ、やはり二人の回答は、いずれも「原爆を許すまじ」(1954年、作詞・浅田石二、作曲・木下航二)であった。

 ♪ふるさとの街焼かれ/身よりの骨うめし焼土に/今は白い花咲く/ああ許すまじ原爆を/三度許すまじ原爆を/われらの街に

 ところで、おそらく読者の大半は、この「原爆を許すまじ」を、生粋のヒロシマ生まれのプロテストソングだと思われているのではなかろうか。

 実は、かくいう私自身も、本稿にとりかかるまではそう思い込んでいた。なぜか? それは、私の中に(いや、あの人類史的厄災を同時代の記憶として共有する私の年代までの人の中には)、〝怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ〟のイメージがあるからである。

 それを歌で代表させると、「怒り」では冒頭に掲げた「原爆を許すまじ」、「祈り」では被爆者救護に生涯を捧げた医師でありキリスト者でもあった永井隆をモデルにした「長崎の鐘」(1949年、作詞・サトウハチロー、作曲・古関裕二、唄・藤山一郎)が即座に脳裏に浮かぶからである。

歌:「原爆を許すまじ」
 作詞:浅田石二、作曲:木下航二)
時:1954年
場所:広島市/長崎市/東京大田区下丸子

「原爆を許すまじ」の知名度はカープ応援歌並み

拡大原水爆禁止1980年世界大会で平和アピールを採択したあと、スクラムを組んで「原爆許すまじ」を合唱する海外からの参加者たち=1980年8月6日、広島県立体育館

 これは私だけの〝思い込み〟ではない。当の〝怒りのヒロシマ〟においてもそうであるとの証言を、私とほぼ同年代の広島生まれで被爆二世のAから得た。

 ちなみに、Aは、「原爆を許すまじ」を、小学校の音楽の授業中に教師のピアノの伴奏で合唱したこともあり、高校時代に自ら調べて知るまでは、この唄はてっきり自分と同じく「広島生まれ」だと思っていたという。そして、「広島の子供なら、ある世代までは、小学校で一度は必ず歌っている」とした上で、こんな言い得て妙なたとえをしてみせた。

 「広島では『原爆を許すまじ』は、カープの応援歌『それ行けカープ』と同じぐらい、よく知られている」

 さらに、私を驚かせたのは、11年前に亡くなった被爆者であるAの母親は、しばしばカラオケで「原爆を許すまじ」を歌っていたというのである。30年ほど前のレーザーディスクのカラオケボックスの時代だったというが、そもそも広島ではそんな昔から反核プロテストソングがカラオケにあったこと自体が驚きだ。そして、それを被爆者が愛唱するということも、東京では考えられない。さすがは〝怒りのヒロシマ〟だと感嘆しつつ、なるほど「原爆を許すまじ」は広島カープの応援歌並みに市民に浸透しているというAのたとえも、大いにうなずけた。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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