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つかこうへいが何度も構想した「非・義士」の物語

1982年『つか版・忠臣蔵』てんまつ記②

長谷川康夫 演出家・脚本家

週刊「平凡パンチ」の〝看板〟だった

 それにしても、ヌードグラビアを売り物とするような青年誌が戯曲など載せて、興味を持つ読者などいるのかというのが、当時でも僕の正直な感想だった。

 だが「平凡パンチ」では、『つか版・忠臣蔵』掲載の翌々年の3月にも、公演を終えたばかりの『いつも心に太陽を』が数多くの舞台写真と共に、戯曲として「一挙掲載!」されているし、そもそもつかこうへいが紀伊國屋ホールに進出した1976年春には、その紹介記事と共に、誌面で「劇団員募集」の告知までされているのだから、雑誌の〝色〟とは別に、つかとの縁は深い。

 実はどのページも松田恒雄という編集者の担当であり、どうやら彼も、つかこうへいという人間に惹き込まれてしまった一人だったようだ。

 ただし『つか版・忠臣蔵』初掲載号などを見ると、この時点ですでに「平凡パンチ」読者層でのつかこうへい人気が、かなりのものだったらしいことは推察できる。

 この年『津軽海峡冬景色』のヒットで演歌へと転向した19歳の石川さゆりの表紙に躍る内容告知は、色鮮やかな《誌上劇場全四幕/つかこうへい鮮鋭に登場!/つか版『忠臣蔵』…開幕!!》の文字だけで、つまりつかの〝戯曲〟がその号の一番の〝売り〟であることがわかるのだ。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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