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安楽死したいという女性の気持ちは変わったかもしれない

長尾クリニック院長・長尾和宏医師に聞く(上)

鈴木理香子 フリーライター

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)をわずらう女性(当時51)からSNSを通じて依頼を受けた医師2人が、女性に薬物を投与して殺害したとして、京都府警は2020年7月23日、2人を嘱託殺人の疑いで逮捕した(8月13日、京都地検は2人を起訴した)。
 医師が難病の女性を死にいたらしめたこの事件を、多くの終末期医療に関わってきた医師はどう見ているのか。長尾クリニック院長の長尾和宏さんに話を聞いた。
長尾和宏 医学博士。1984年、東京医科大学卒業、大阪大学第2内科に入局。1995年、兵庫県尼崎市で開業し、複数医師による年中無休の外来診療と在宅医療に従事。公益財団法人日本尊厳死協会副理事長、日本ホスピス・在宅ケア研究会理事、日本在宅医療連合学会専門医。関西国際大学客員教授。著書に『小説・安楽死特区』『平穏死・10の条件――胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?』『長尾和宏の死の授業』ほか多数

――長尾さんは、これまで多くの患者さんの終末期にかかわってきました。

長尾 3000人以上になるでしょうか。そのうちALSの患者さんは20人ほどいました。いまも胃ろうと人工呼吸器を付けたALSの人、付ける前の人を数名、診ています。ここ(取材)に来る直前にも、家族から相談があったばかりです。5年前から胃ろうと人工呼吸器を付けて在宅療養生活を続けているのですが、「最近、意識レベルが低下しているが、どうしたらいいか」という内容でした。

長尾クリニック院長 長尾和宏医師

医学博士。1984年、東京医科大学卒業、大阪大学第2内科に入局。1995年、兵庫県尼崎市で開業し、複数医師による年中無休の外来診療と在宅医療に従事。公益財団法人日本尊厳死協会副理事長、日本ホスピス・在宅ケア研究会理事、日本在宅医療連合学会専門医。関西国際大学客員教授。著書『小説・安楽死特区』『平穏死・10の条件――胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?』『長尾和宏の死の授業』ほか多数長尾和宏医師
――今回の事件を、長尾さんはどう見ていますか?

長尾 各メディアの報道内容はほぼ似たもので、「殺人をおかした医師はけしからん」、「死ぬことではなく、生きることを考えよう」という論調ばかりでした。たしかにそうなのですが、それがこの事件の本質でしょうか。僕は2つの土台がきちんと報じられていないことに違和感を覚えました。

――二つの土台ですか?

長尾 そう、一つはALSという病気の基礎知識、もう一つは安楽死と尊厳死の混同です。

 ALSは、運動神経系の神経が障害されることで、徐々に筋力が衰えていく病気です。進行すると手足の筋力だけでなく、嚥下機能や呼吸機能も低下するので、徐々に食べられなくなり息苦しさを覚えます。最終的に胃ろうや人工呼吸器を付けるか付けないかの選択に迫られます。

――付けて何年か生きるか、付けないまま最期を迎えるか。

長尾 あまり知られていませんが、日本では実際に「付けること」を選ぶALSの患者さんは3割ほどで、残り7割は「付けないこと」を選び、自然死を遂げています。付けない人の方が多いのです。この傾向は海外ではさらに顕著で、人工呼吸器を付ける人はごく少数だと聞いています。

――その違いはどこにあると思いますか。

長尾 それは社会保障制度の違いで、日本はALSに限らず、胃ろうと人工呼吸器を付けた患者さんに対する医療や福祉が充実しているからです。例えば、そういう人の在宅療養では、痰の吸引ができる資格を有するヘルパーが、24時間365日、患者さんの家で寝泊まりして、みてくれます。医師や看護師も定期的に訪問してくれます。こうした在宅療養への公的支援が手厚いからこそ、在宅療養が可能なのです。

――それでも、胃ろうや人工呼吸器を付けないことを選ぶ患者さんのほうが多い。

長尾 残念ながら、そうなのです。少なくとも僕が関わってきたALS患者さんに限れば、付けようと決めていた人は一人もいません。皆さん、最初は強く拒否されていました。

――付けない理由というものがあるのでしょう。

長尾 みなさん、最初はこう言いますね。「一度付けたら、死ぬまで外せないんでしょう?」と。そのとき僕は「いいえ。場合によっては外せるかもしれませんよ」と答えます。とりあえずやってみて「でも、やっぱりやめたい」と思ったときの答えが、いまの日本の医療には用意されていないと思います。

――いずれにしても、ALSの患者さんは自分の“生き死に”を自分で決断しなければならない。

長尾 ですから、元気なうちから「リビングウィル(living will)」を書いているALSの患者さんも少なくありません。これは自分がどんな最期を迎えたいのかを示すもので、“命の遺言状”とも呼ばれています。

――このような話はあまり報道に出ていないような気がします。

長尾 それは、メディアで意見を述べているALSの当事者が、すでに胃ろうや人工呼吸器を付けている患者さんばかりだからです。ご家族や患者会、支援者もそう。“付ける選択をした人の意見”だけでなく、“付けない選択をした人の意見”にももっと耳を傾ける必要があると思うのです。

 僕は、こういう人たちの「死は考えないでほしい」「生きててほしかった」という意見を聞くたびに、「では、付けないで天国に行ったALSの患者さんが、この事件を知ったらどう思うのだろう」と考えてしまいます。生きることが大切なのは当然です。しかし何より、考え抜いたあげく死を望んだ彼女の心象風景にも想像力を働かせるべきではないでしょうか。

患者に「安楽死」について相談されたら……

――一方、女性を安楽死させた2人の医師についてはどう考えますか?

長尾 2人の行為は嘱託殺人であり、決して許されない犯罪です。ただ、今回の事件を論じるときに彼らの独断的な考えや金銭の授受はいったん切り離して議論すべきだと考えます。なぜなら、ことの発端は彼女がSNSに発信したことだからです。

愉一被告大久保愉一被告が考案したとされる「終末期医療意思表示カード」=2011年10月のツイッター投稿から
――事件の核心はどこにあると思いますか?

長尾 「死にたい」という女性の心の声に寄り添う人が一人もいなかったことが、最大の問題だと思います。家族も、30人にも及ぶ在宅医療チームも誰一人、彼女の悩みと重大な決断に気が付かなかった。

――では、長尾さんが女性の主治医で、「安楽死」について相談されたら?

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