長尾クリニック院長・長尾和宏医師に聞く(下)
2020年09月04日
7月に発覚した京都ALS(筋萎縮性側索硬化症)嘱託殺人事件。以来、多くの声がメディアで報じられているが、これまで多くの終末期医療に立ち合ってきた長尾クリニック院長の長尾和宏さんは、「報道は事件の本質を避けている」と感じている(インタビュー<上>に掲載)。では、どんな議論が必要なのか。
長尾和宏 医学博士。1984年、東京医科大学卒業、大阪大学第2内科に入局。1995年、兵庫県尼崎市で開業し、複数医師による年中無休の外来診療と在宅医療に従事。公益財団法人日本尊厳死協会副理事長、日本ホスピス・在宅ケア研究会理事、日本在宅医療連合学会専門医。関西国際大学客員教授。著書に『小説・安楽死特区』『平穏死・10の条件――胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?』『長尾和宏の死の授業』ほか多数
安楽死したいという女性の気持ちは変わったかもしれない――長尾クリニック院長・長尾和宏医師に聞く(上)
長尾 この番組の影響を受けたことは間違いないでしょう。スイスに渡り致死薬の点滴で最期を迎える、あのような死に方に憧れたのかもしれません。
でも、僕はあの番組に対して大きな疑問を抱きました。京都のALSの女性はあの番組の二次被害者とさえ思いました。現在BPO(放送倫理・番組向上機構)にかかっているそうですが、当然です。厳密な検証を望みます。スイスで亡くなった多系統萎縮症の女性は自殺であり、それをテレビが報じたのです。
――もし女性があの番組を観ていなかったら、あのような最期を迎えることはなかったと思いますか?
長尾 それはわかりません。しかし、もし僕が彼女の主治医だったら、時間をかけてあの番組の倫理違反を説明していたでしょう。実際、あれ以来、安楽死を希望する患者さんが後を絶たず困っています。「私もスイスに行きたい」というのです。多くの視聴者が共感したようですが、テレビが自殺や殺人で視聴率を稼ぐ行為には大きな疑問があります。
――いずれにしても、彼女の場合は話し合いが足りなかった。
長尾 そうです。そこが本質です。でも、そこに至らなかった。今回の事件の報道を見聞きしていてたいへん不思議に思うのは、どのメデイアにも「人生会議」という言葉が出てこないことです。あれほど国を挙げて宣伝していたのに、こういう肝心なときに関係者もメデイアも、もっとも大切なキーワードを見事に忘れている。
僕は重要な意思決定の場では、必ず人生会議を繰り返します。その物語の方向性を全員で共有します。彼女のような状態であればなおのことです。
――確かに、人生会議という言葉は一度も出ていないように思います。
長尾 果たして、彼女に接していた30人の医療・介護スタッフはどんな人生会議をしたのでしょうか。彼女の本音に気が付いた人はいなかったのでしょうか。あらゆるアプローチをしても彼女の気持ちがまったく揺らがなかったら、「最悪」という言葉は使いたくはありませんが、それでも彼女の意思を尊重するならば、人工栄養を徐々に減らして最期を迎える「尊厳死」という道もあったかもしれない。嘱託殺人を避けられた可能性がなかったか、しっかり振り返って考えるべきです。
――人生会議といえば、芸人のインパクトのある啓発ポスターが炎上した記憶があります。
長尾 そう、それです(苦笑)。
長尾 比較的元気なときから、もしものときにどんな医療を受けたいかについて家族を含めて医療、介護スタッフで何度も話し合うことを「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」といいます。国は2018年に、これを「人生会議」と呼ぶことに決めたんですよね。
人生会議の核は、最期はどうして欲しいのかという本人の意思です。それを「リビングウィル(living will)」という文書に残しておいてくれると、医師はたいへん助かります。
――それがあると医師がその意思を尊重した医療を提供できる。
長尾 先進国ではリビングウィルは法的に担保されています。台湾は2000年に、韓国は2018年に法的担保を終えています。日本はそもそも議論がなされていないので、トラック競技でいったら世界標準より10周遅れです。それどころか、国は2019年11月まで本人が意思表示することすら否定していましたから、20周遅れかな。
――2019年11月といえば、つい最近の話です。
長尾 僕は公益財団法人日本尊厳死協会の副理事を拝命しています。リビングウィルを啓発することを目的とする日本尊厳死協会は、1976年に設立された市民団体ですが、公益法人申請が認められませんでした。
その唯一の理由は、なんと「患者がリビングウィルを表明すると医師の訴訟リスクが高まる」でした。わかりやすく言うと「患者さんが自分の意見を述べることはよくない」と。「えっ!?」て思うでしょう?
――それは、むしろ逆ではないでしょうか。
長尾 そう。でも、国の考えは真逆で、
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