第50回ENEOS音楽賞(旧JXTG音楽賞)洋楽部門の本賞を受賞
2020年09月08日
クラシックの国際コンクールは、若手演奏家の登竜門として広く知られている。著名なコンクールで優勝の栄冠に輝くと、「一夜にして人生が変わる」ともいわれる。
1998年6月、モスクワで開催された第11回チャイコフスキー国際コンクールの声楽部門の優勝者は、わが国のソプラノ、佐藤美枝子だった。彼女は同コンクールの声楽部門において、日本人初の優勝という快挙を成し遂げたのである。
チャイコフスキー国際コンクールでは、体躯(たいく)堂々とした声楽家たちがダイナミックでスケール大きな歌をうたい上げる。そのなかにあって、佐藤美枝子の透明感あふれる清らかなコロラトゥーラ(速いフレーズのなかに装飾音やトリルを施し、技巧的で華やかな旋律をいう)・ソプラノは異色の存在だった。
だが、このときは登録段階で思わぬアクシデントに見舞われたり、レパートリーの面でうたう作品を急きょ変更せざるをえなかったりと、さまざまな難関にぶつかっている。彼女はそれにめげることなく本番に向けて気持ちを高め、集中力に満ちた歌を披露し、審査員と聴衆の双方を味方につけて見事第1位を勝ち取った。
佐藤美枝子は子どものころから歌が大好きで、小学生のころは流行歌を好んでうたっていた。やがて合唱団に入り、ある発表会で先生がうたうイタリア歌曲を耳にする。
「こんなにすばらしい歌があったんだ」
「でも母が、私の夢がかなうよう父の会社の仕事を手伝いながらアルバイトをし、音楽大学の授業料を出してくれたのです。母は女性でも、何かひとつ秀でたものを身につけることが大切だと考え、最大限のサポートをしてくれました」
1994年には日伊声楽コンコルソ第2位、95年には日本音楽コンクール声楽部門第1位を獲得。ようやく父親も声楽家の道に進むことを認めてくれた。そしてついにチャイコフスキー国際コンクールで頂点に立ったのである。
とはいえ、コンクールまでの道程もけっして樂なものではなかった。武蔵野音楽大学に進み、憧れのマリア・カラスのようなドラマティックで情熱的で迫力に富む曲をレパートリーとしたが、大学のオペラコースには入れず、卒業演奏会にも出られなかった。さらに国際コンクールではどうしても第1位を獲得することはできなかった。声質が違ったのである。
それを恩師の松本美和子に指摘され、
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