民主主義に住みついたその正体
2020年09月15日
安倍晋三が退陣した。本当の理由はよくわからない。モリカケからサクラまで、アベノマスクから電通によるナカヌキまで徹底したウソとゴマカシに貫かれた政権運営の結果だから、表向きの理由もにわかには信じがたい。
コロナ対応で無能ぶりが明らかになり、世論の信頼を失ったためだという説も流れている。しかし、無能の人は、自らの無能には気づいていないのが普通だから、そうとも思えない。真相は闇の中だ。
いずれにしても「安倍政治を許さない!」という標語の下に悪口を言ってきた人々は喜んだ。逆転満塁ホームラン並みに喜んだ。私も退陣発表の翌日に野外レストランで友人とコロナ対策の距離を厳重に取りながら、デモの日々を振り返ってささやかにグラスをあげたものだ。
だが、2杯目のグラスをあげるにあたって、そこにいた4人全員の目に暗い影がさしたのがマスクをしていてもわかった。「わ〜っ、気持ち悪い」「もっと悪くなる」と。新聞辞令の出る前だったが、菅義偉官房長官が後任に予想されたからだ。政界事情には疎い我々でもそのくらいの推測は可能だ。私の推測の根拠は、その晩にも口走ったが、「アベはファシズムのピエロだが、スガは根っからの“ファシスト”だ」というものだ。
え〜っ? なんだって? ファシズムって戦争中の話じゃないか? いくらなんでもそれは無謀な形容だよ?と言われそうだ。いやいやそうじゃない。以下にその理由を手短に述べてみたい。
ファシズムに関する多くの研究には多少なりとも国際比較が出てくる。1930年代はじめから1945年の敗戦までの時期、成立の時期や事情には差があったにせよ日独伊がファシズム体制であったことに異を唱える者は少ない。しかし、実際にファシズムを定義するとなると、日本のそれをうまく入れ込んだ定義はなんとも難しい。
まずはナチス・ドイツのヒトラー、ファシズムの元祖であるイタリアのムッソリーニのような中心的人物がいない。東條英機は戦局が大きく傾くと、さまざまなかけひきの末に結局は辞職してしまった。日本の場合、ファシズムといっても、個人独裁ではないようだ。東條は陸軍と海軍の無用な意地の張り合いすら抑えられなかった。
それにヒトラーやムッソリーニに比べて、東條は弁が立つわけでもなく、民族共同体のヴィジョンを掲げた政治運動でのし上がってきたわけでもない。ただの軍官僚だ。議会などやめてしまったヒトラーと異なって、東條は国会でもきつい質問に対応せざるを得なかった。「私が責任者ですから」という彼の「無責任な責任感」の口癖は、安倍首相の答弁の口癖と似ているという話もあるが、どうだろうか。さらに東條の「出世」は調整の達人だったからだという見方もある。
もちろん日常生活での徹底した戦時体制と統制強化という点ではまがいようもなくファシズムだ。特高警察による弾圧もそうだ。だが、これは
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