三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授
大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
民主主義に住みついたその正体
ファシズムに関する多くの研究には多少なりとも国際比較が出てくる。1930年代はじめから1945年の敗戦までの時期、成立の時期や事情には差があったにせよ日独伊がファシズム体制であったことに異を唱える者は少ない。しかし、実際にファシズムを定義するとなると、日本のそれをうまく入れ込んだ定義はなんとも難しい。
まずはナチス・ドイツのヒトラー、ファシズムの元祖であるイタリアのムッソリーニのような中心的人物がいない。東條英機は戦局が大きく傾くと、さまざまなかけひきの末に結局は辞職してしまった。日本の場合、ファシズムといっても、個人独裁ではないようだ。東條は陸軍と海軍の無用な意地の張り合いすら抑えられなかった。
それにヒトラーやムッソリーニに比べて、東條は弁が立つわけでもなく、民族共同体のヴィジョンを掲げた政治運動でのし上がってきたわけでもない。ただの軍官僚だ。議会などやめてしまったヒトラーと異なって、東條は国会でもきつい質問に対応せざるを得なかった。「私が責任者ですから」という彼の「無責任な責任感」の口癖は、安倍首相の答弁の口癖と似ているという話もあるが、どうだろうか。さらに東條の「出世」は調整の達人だったからだという見方もある。
もちろん日常生活での徹底した戦時体制と統制強化という点ではまがいようもなくファシズムだ。特高警察による弾圧もそうだ。だが、これは
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