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『沈没家族』の風通しの良さ

子どもはどんな状況であれ、血の繋がった家族内部でだけで存在できない

丸川哲史 明治大学教授

 加納土『沈没家族 子育て、無限大。』(筑摩書房)は、ドキュメンタリー映画『沈没家族』を撮った監督として既に世に出ている、加納土氏による書下ろしのエッセイである。この流れを知らない読者にとってはいぶかしげなタイトルとして提示されている「沈没家族」について、まず説明しておこう。

 それは、土氏の母親で、シングルマザーであった加納穂子氏と数人が1990年代後半に始めた「共同保育」の実験の場を自分たちでネーミングしたもので、また自分たちの住んでいた住居を「沈没ハウス」とも称していた。当時、主に経済的な高度成長が見込めない雰囲気の中で「沈没しつつある日本」といった言葉が流行っていたが、この「沈没」という言葉をユーモアで使いつくそうとした意図がその端緒にあった。

拡大映画「沈没家族」の一場面。加納土氏(左から2人目)が、母の穂子氏(左端)のほか、たくさんの「保育人」の若者たちに囲まれている©おじゃりやれフィルム

子育てに関わる行動と価値の転換

 しかして、その試みそのものは、家族も含めて固定化した人間関係を「共同保育」の実験を通じ、より柔軟で豊かなものに変えていこうという意図から生じたものであった。さて、既に世に出されたドキュメンタリー作品『沈没家族』は、「共同保育」の対象となった土氏が時を経て大学生となり、その卒業制作のプロセスの中で、かつて保育人へのインタビューを主軸として構成したもので、近年において全国上映にまで進み出た作品となった。

 しかし、その限られた映像内容だけでは伝えきれない出来事の多面性、また人物背景の面白さの深堀が期待されたところで、改めて文字にして語られる必要が出てきた。特に名を挙げるなら、加納土氏の祖母にあたる、女性史研究家の加納実紀代氏のことなども今回大きく取り上げられている。だが、本書の持つ意味は、映像作品に対する補助的位置にあるのでは決してない。一読するなら、むしろ書き手としての加納土氏の可能性が伝わってくる。映画では表しきれなかった複雑な要素がきわめて分かりやすく、また慎重な筆致で記されている。

 さて、本書がどう読まれるかという予想では、昨今のコロナ禍において流行った「新しい生活様式」論から取り上げることも可能ではあろう。しかし、ここではやや趣向を変え、むしろ本書は、一つの生活哲学を論じたエッセイとして読むことも可能だ、と私は言いたい。例えば、ドキュメンタリーの上映後のトークに詩人のアーサー・ビナード氏と穂子氏が登場した際のことが以下のように記されている。

 ビナード氏は、かつて多くの血縁や縁者で子どもを観ていた時代を思い出し、「沈没家族って、人間の古くからある形だよね」と語った際、穂子さんは「似ているところもあるけど、ちょっとちがうところもあるかも」と返した。土氏は実に、このポイントを見逃さない。一般的に言われている「家族」であれば、常識的には子どもは最後まで面倒見なければならないことになるが、「沈没家族」はそうではなかった。

 もちろん、穂子氏などの母親は「特別枠」とはなる。ちなみに、この「特別枠」という言い方そのものも興味深い。極めて素っ気ないが、「沈没家族」という実験の実験たる意味をよく伝えている。では、「沈没家族」が一般的な家族と違っていた点を端的に表すとすると、「呼びかけ」に応えた人々が能動的に集まり、そして子育てを楽しんだ、という事実に尽きる。その「楽しんだ」感覚を表現するのに、子育てを「人体実験」と呼ぶセンスなども興味深いところがある。

 さらに、「共同保育」において通例化した特異な名称として「保育人」という、これまた素っ気なくも正確に「沈没家族」の方向性を表す呼称がある。当時「呼びかけ」を行った穂子氏は、昼間は仕事もあるし、夜間の写真学校にも通いたかった。子育てを共同のものとすることは、生き延びるために必要なことであった。その半面として、子育てそのもの(また別の子どもを育てること)にネガティブなイメージを決して付与したわけではなかった。

 穂子氏の名ゼリフ(殺し文句)がある。ある独身中年男性に対して「呼びかけ」る際、今後もう子育てをするチャンスはないかもよ、と語ったことなど象徴的である。ここで感じられることは、つまり、子育てに関わる行動と価値の転換が提示されている、ということである。

 すなわち、本書から読み取れるのは、「沈没家族」は複数の母親から始まったことではあるが、特に穂子氏がどういった方向性を持ったか、また持とうとしたかが何よりも重要であった。この点について、子育てされた側の土氏は、例えばこう記している。「子どもを自分ひとりで、愛情を持って守ることによって、子どもと親密な関係を築いていくという考えではなく、離れる時間があるからこそ会えると穂子さんは思っていた。…恋人同士の関係に置き替えてもそうかもしれない」と。

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筆者

丸川哲史

丸川哲史(まるかわ・てつし) 明治大学教授

1963年和歌山県生まれ。明治大学政治経済学部/同大学大学院教養デザイン研究科教授。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程修了。専攻は東アジアの思想・文化。著書に『台湾、ポストコロニアルの身体』(青土社)、『中国ナショナリズム――もう一つの近代を読む』(法律文化社)、訳書に汪暉著『世界史のなかの世界――文明の対話、政治の終焉、システムを越えた社会』(青土社)など多数。

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