前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【27】美空ひばり「一本の鉛筆」
前回で記したように、私は、「生まれが共産党だから」という若げのいたりゆえの料簡の狭さから、「原爆を許すまじ」を敬して遠ざけることになった。以来、私の中では、「広島を鎮魂する唄」の空白状態がかなりの間つづいていたのだが、やがてその空白の時を埋める唄が、まったく思いもかけない方角からやってきた。
それは、昭和を代表する演歌の女王が広島でうたった、「一本の鉛筆」という「反戦歌」である、といっても、おそらく彼女のファンのほとんどからは「お嬢がそんな唄を歌っていたのか」といわれるに違いない。
この唄が美空ひばりによってはじめてうたわれたのは、原爆投下から29年が経過した1974(昭和49)年、広島で開かれた「第1回広島平和音楽祭」だったが、私がそれを初めて耳にしたのは、それからさらに15年後、くしくも昭和が終った年に逝去した昭和の歌姫・美空ひばりを追悼するテレビの特集番組であった。
「♪あなたに聞いてもらいたい」ではじまり、最後に以下のシンプルな〝決めのフレーズ〟が、ひばりにしては抑制をきかせた声音で、深く静かに私の心に染み入った。
♪一枚のザラ紙が あれば
あなたをかえしてと 私は書く
♪一本の鉛筆が あれば
八月六日の 朝と書く
「ザラ紙」はもはや死語かもしれない。「わら半紙」ともいい、表面がざらついた最下級の紙で、私たちベビーブーマーにはなんとも郷愁をそそられる。学校の教材やテストも先生が手書きのガリ版でこれに刷ったものだった。長じて大学で学生運動にのめりこみガリ版刷りで配ったビラもこれだった。鉛筆はというと、貴重品だったので、(切り出しナイフの)肥後守で握れなくなるまで芯をけずり、さらにキャップをかぶせてつかいたおしたものだった。ザラ紙も鉛筆もわが幼少年期の生活の一部だった。あれが周囲から消えてしまったのはいつからだろう。コピー機が普及するようになってからだろうか。そんななつかしさを覚えたこともあって、以来、私にとって、この「一本の鉛筆」は、ひばりの唄のなかでは、「♪笛にうかれて逆立ちすれば山が見えますふるさとの」の「越後獅子」につぐ愛唱歌になった。
それまでは、少なくとも私の周辺では、「あのひばりが反戦歌をうたっている」ことが話題になることはなかった。そして、その後も、この唄は、〝一部音楽業界ネタ〟ではあったようだが、〝運動圏〟でも〝知る人ぞ知る〟であり、ひばりファンの間でも〝異端の唄〟でありつづけているように思われる。そこからは、なにやら謎めいたものが匂いたってくる。
本稿では、その謎の匂いのありかに迫ってみたい。
唄:「一本の鉛筆」唄・美空ひばり
作詞:松山善三、作曲:佐藤勝
時:1974(昭和49)年
場所:広島市/横浜市磯子
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