2020年09月25日
今、『半沢直樹』(TBS系)を語るのってすごくリスキーというか、何を言ったところで「なんにもわかってないバカ」みたいなことになりそうだ。ことに「半沢批判」。ネットで検索してみたら『半沢直樹』というドラマについて批判や文句やいちゃもんは山ほどあって、名のある人による「批判」もあるけど、だいたい「そんならお前は見なくていいよバカ」とか切り捨てられている。半沢ファン怖し。
しかし『半沢直樹』を見て「金融リテラシーが低いからこんなもんを喜んで見てるんだ」なんて言ってる評論家など見ると「いやーそこじゃねえだろう」と半沢を知らなくても思う。あと、役者の大芝居が話題、良くも悪くも。そんなこと言われれば言われるほど半沢製作陣はほくそえんでるだろう。
私は堺雅人の演技が好きじゃない、と前作をちらっと見た時に思ってからそれ以後見てなかったのだが、今シリーズの盛り上がりぶりがすごいのでつい見てしまった。そしてすごく驚いたのである。
面白いじゃん、ちゃんと。
なんか、「現代の水戸黄門」とか言われてるのを聞いたことがあるが、言わんとするところはわかるけれど水戸黄門は連続ドラマじゃないからちょっと違うと思う。
『沈まぬ太陽』だ、これは。
『白い巨塔』も似てるが、『沈まぬ太陽』のほうがよりわかりやすく似ている。つまり山崎豊子なのである。池井戸潤、現代の山崎豊子説。そんなことはもうとっくに誰か言ってるかもしれないが。
『沈まぬ太陽』は渡辺謙主演の映画じゃなくて、WOWOWで20回の連続ドラマだったほう。これがNetflixで配信されはじめたので第1話を見たらずるずると20話ぜんぶ見てしまった。「国民航空」という日航バレバレな航空会社に勤める「信念の人」である主人公(ハンサム)が組合活動で左遷させられるやら、ジャンボ機墜落事故で遺族によりそうやら、新会長とともに会社を生まれ変わらせようとするやら、政治家の横ヤリで新会長は志半ばで去るやら、
「企業リテラシーが低いからこんなもんを喜んで見てるんだ」
と評論家に言われそうなストーリーだが、
「そこじゃねえんだよ!」
リテラシーが高かろうが低かろうがそんなこととは無関係に「カタルシスが絶妙に配されたドラマ」だからついついひっぱられて見てしまうの!
登場人物が過度に戯画化されているので、演技は抑えたものを至上と考える私は、『沈まぬ太陽』を好きだとは断じて言えないのに、最後まで見ないとおさまりがつかなくなってしまった。そういうのを「俗情との結託」っていうんだ。
でも結託しようとしてコケるドラマが山ほどある中で、きちんと結託できてるだけで「よくやった」と思えてしまうほど今のドラマ界(とくに民放)はひどいことになってるって話だ。長い連続ドラマつくるなら、最後まで見せてみろと言いたい。文句はそのあと聞こう。
と、『沈まぬ太陽』について書きたてましたが、ほんとよく似てるんですよ、『半沢直樹』と『沈まぬ太陽』は。
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