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愛されるより恐れられよ…『君主論』(マキャベリ)は政治家のバイブルか

菅首相が引用したことが話題に。目的のためならどんな手段も肯定される政治観の真実

三浦俊章 ジャーナリスト

 「哀れみ深いよりも残酷でなければならない」「約束を破ってもかまわない」「愛されるよりも恐れられるほうが望ましい」。これらは、君主(権力者)はどう振る舞うべきかとの問いに、ルネサンス人マキャベリが500年前に与えた回答である。目的のためならどんな手段も肯定される政治観だと受け止められ、後世の評判は甚だ悪い。そのマキャベリを、新たに就任した菅義偉首相が引用したことが話題になっている。はたして、マキャベリは現代の政治家の指針になりえるのか。マキャベリの主著『君主論』を読み解いてみよう。

 ニコロ・マキャベリ(1469~1527)は近代初頭に、イタリアの都市国家フィレンツェに生まれた。当時のイタリアは、ルネサンス(文芸復興)、すなわちギリシャ・ローマの古典文化の復興を目指す運動のまっただなかにあった。

 マキャベリはフィレンツェ共和国の官僚政治家として活躍した。だが、彼が43歳のときにその共和政が倒れ、外交や軍事を担当する書記官の職を解かれてしまう。その後の長い不遇の時期に、自分の政治経験をもとに書き下ろしたのが『君主論』だった。

高台からフィレンツェをのぞむ=2015年、丸山ひかり撮影

邪悪な人物、策略家のレッテル

 マキャベリは何を説いたのか。今日の一般的理解は次のようなものだ。

 「『君主論』によれば、政治は道徳や宗教とは独立に、人間社会の現実を熟知したうえでなさなければならない。とくに君主は、強さとずる賢さを備えるべきで、信義を守り、公明正大な君主よりも、奸策(かんさく)を用い、人々から怖れられる君主のほうが大事業をなしとげると主張する。あくまで現実に即した人間像を提示した点で、これもルネサンス・ヒューマニズムの帰結のひとつなのである」(『高等学校 新倫理 新訂版』、清水書院)

マキアヴェリ『新訳 君主論』(池田廉訳、中公文庫、800円税別)
 近代政治学の祖としてのマキャベリ像である。小国家が分立する乱世のイタリアという当時の時代環境の中で書かれた本なのだが、『君主論』もその著者も、その歴史的文脈を離れて論じられるようになる。

 宗教戦争の残虐な殺戮(さつりく)の裏にも、マキャベリの『君主論』があると非難された。『君主論』は独裁者の悪しき統治を肯定した本とみなされ、各地で禁書扱いされた。マキャベリ自身も、邪悪な人物、策略家としてのレッテルを貼られた。

 その後、19世紀にイタリアが統一されると、マキャベリが近代イタリア国家を予見していたかのように思われたこともあったが、総じて、マキャベリは悪名高い存在だ。今日、「マキャベリズム」とは、目的のために手段を選ばない手法のことである。「マキャベリスト」と言われて、喜ぶ政治家はまずいないだろう。

マキャベリを引用した菅首相

 だから、菅首相が官房長官時代、それもつい最近まで雑誌に連載していたコラムで、マキャベリを引用したのは驚きだった。自分の政治手法を重ねて、次のように語っている。

 「官僚たちに『強く指示』することがよくあるために、霞が関からはずいぶん恐れられているようですが、それも仕方がないと思っています。(中略)マキャベリも、『君主論』の中でリーダーのあるべき姿についてこう述べています。〈恐れられるよりも愛されるほうがよいか、それとも逆か。……二つのうちの一つを手放さねばならないときには、愛されるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である〉(「菅義偉の戦略的人生相談」、ビジネス誌「プレジデント」2020年6月12日号)

 古今の名言を政治家が引用するのはよくあることだが、マキャベリは極めて珍しい。菅首相がその珍しいマキャベリを引いたのは、昨今の日本の政治状況と関係があるのだろう。小泉政権以後に長く続いた政治の混乱の結果、とかく「決める政治」がもてはやされ、強いリーダーが求められるようになった。そうした現代の風潮ならではの現象のように思われる。

 だが、マキャベリが説いたのは、単にそのような決断主義だったのだろうか。

Contimis Works/shutterstock.com

特殊な目的のために書かれた『君主論』

 『君主論』は、政治学の古典としては短い方である。ゆったりと活字を組んだ中公文庫(池田廉訳)でも本文は150ページたらず。しかし、正直に言って、決して読みやすい本ではない。

ニコロ・マキャベリの像(イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館)の外で)  James.Pintar/shutterstock.com
 ひとつには、マキャベリの議論の前提となっている500年前のイタリアの状況がつかみにくいことだ。ミラノ公国、ベネチア共和国、フィレンツェ共和国、ローマ教皇領、ナポリ王国などが並立しているうえ、フランスや神聖ローマ帝国など周辺の大国が介入を繰り返す。その複雑な関係を頭に入れるだけでも大変な作業だ。

 もうひとつの理由は、あとで詳しく触れるが、『君主論』が極めて特殊な目的のために書かれた本であることだ。

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