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『ペリリュー 楽園のゲルニカ』――戦争体験が失われる時代のリアリティー

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

問われる「虚構の倫理」

 スタッフ、観客も含めて大半が20〜30代という会場の若さがまず驚きであったが、聡子さんの情熱的でフランクな質問に丁寧に応ずる吉田さんのお話は実に聞きごたえがあった。戦争と現代の日本を考える上で重要なヒントを沢山お土産にもらったのだが、強く印象に残ったことがふたつある。

 ひとつは戦死した息子の恩給を誰が受け取るか、という問題である。家父長制の強い影響下、戦死者の父母が恩給を独占してしまい、遺された妻や子どもに行き渡ることなく、訴訟にまで発展するケースも多々あったという。何やらコロナ禍での10万円給付金問題を彷彿とさせもするし、嫁姑の相剋に戦争とフェミニズムというテーマに発展しそうなタネも窺えるが、単純に考えてここにあるのは、兵士はいったい誰のために闘い、何のために死んでいったのかという疑問である。

 戦場に斃れた兵士の身になれば、死の瞬間まっさきに思い至るのは、自身の親のことよりも、遺していく妻と子の行く末だろう。その末期の祈りさえ叶えられないとすれば、無念にもほどがある。

 つまりここには家父長制の延長線上にある天皇制の問題、個人の幸福よりも国家の体面を優先させることでもたらされる悲劇が、「戦争の実態」として恩給という身も蓋もないところにあらわれている。

 そしてそれは、夫婦別姓を認めず、自助自責を家族単位に押し込めようとする自民党の改憲案と妙に符丁が合う。

 ふたつ目は体験者がいなくなったとき「戦争」はどう語られていくのだろうかという問題。「物語」の基盤に「体験」がなくなったとき、初めて「虚構の倫理」が問われる。つまり「リアリティー」は何をもって保証されるかという問題である。

 そこで吉田さんの口から発せられたのは、「サバゲー」、つまりサバイバルゲームに、このところ日本兵に扮して行うものが出てきていること、それと特攻隊の慰霊の地・知覧で行われている「活入れ」という中小企業の経営者や新入社員対象に行われている自己啓発目的の研修のことだった。

 これらは明らかに「戦争の美化」を超越した「戦争という物語の消費」である。

武田一義の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(白泉社)拡大武田一義『ペリリュー 楽園のゲルニカ』 ©武田一義/白泉社
 その一方で挙げられたのはふたつのマンガ、武田一義の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(白泉社)と小梅けいと作画/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ原作の『戦争は女の顔をしていない』(KADOKAWA)だった。

 ベクトルはまるで逆方向ではあるにせよ、これらも「戦争という物語の消費」には違いない。けれども両者を大きく隔てているのは「物語」の立脚点にある「ファクト」の重さ、リアリティーを保証する「虚構の倫理」の有無である。

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筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。