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つかこうへい作・演出のドラマが動き出す

1982年『つか版・忠臣蔵』てんまつ記③

長谷川康夫 演出家・脚本家

 テレビ東京とつかこうへいがタッグを組み「打倒・紅白歌合戦」を合言葉に制作された、ドラマ『つか版・忠臣蔵』のてんまつをつづるシリーズの3回目です。

   第1回 つかこうへいが掲げた「打倒・紅白」の旗印
   第2回 つかこうへいが何度も構想した「非・義士」の物語

ドラマでも、芝居作りは口立てで

拡大筆者の手元に残る『つか版・忠臣蔵』の台本。表紙に誰かの落書きがある
 テレビ東京の1982年大晦日特番、ドラマ『つか版・忠臣蔵』のリハーサルが始まったのは、『劇団つかこうへい事務所』が紀伊國屋ホールでの解散公演『蒲田行進曲』を11月9日に終え、1日だけの休みを挟んですぐだったと思う。

 その初日、僕らは港区飯倉の「千田スタジオ」に集まった。俳優座を創立した千田是也氏が所有する、芝居用の稽古場である。

 『つか事務所』としては、それまでもいくつかの公演で利用し、『蒲田~』の本番前、8月にも世話になった場所だった。21日からの本番収録に向け、テレビ東京のリハーサル室が使用可能となるまでの何日かは、出演者の中、我々『つか事務所』の劇団員たちだけで、つかの〝口立て〟による芝居作りが行われることになっていた。

 稽古初日、皆にまず渡されたのは、小さく「準備稿」と入った『つか版・忠臣蔵』の印刷台本である。つかの指示を受けた高野嗣郎の手による脚本で、不破敏之(テレビ東京ディレクター)によると、数日前、つまりまだ『蒲田~』の公演中、高野を都内のホテルに缶詰めにして、なんとか書き上げさせたものだったという。

 「つかこうへい作・演出」がウリのドラマではあるが、舞台美術を一切使わないその芝居と違って、今回はセットなどを含め、撮影のための準備があり、局としてはこの時点での台本が必要だったということだろう。


筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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