プロデューサーがつづる公演の歩み①
2020年10月18日
コロナ禍と向き合う演劇界で、ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』は特別な困難を乗り越えた作品だ。公演規模が大きく、主役をはじめ出演者は大勢の子供たち、演出家ら主要スタッフは全員が海外在住で来日は不可能だった。それでも歩みを止めずに前へ進み、10月17日に東京公演を無事に終えた。10月30日から大阪公演が始まる。これまでの道のりを、主催するホリプロの梶山裕三プロデューサーがつづる。
緊急事態宣言以降、ホリプロがミュージカルの幕をあけるのは、これが初めてのこと。客席はキャパシティの50%ではあるものの、初日の客席は満員御礼。お客様が入口での検温、手の消毒、緊急連絡のための個人情報の提供などに、しっかりと協力してくださるのを見て、世の中がもうこの生活に慣れていることを再確認する。
通常、初日の劇場ロビーは、興奮する観客の話声でざわつくものだが、この日は驚くほど静かだった。客席に入ってみると、一席飛ばしで座っているため隣同士での話をすることも叶わず、ピーンと張りつめた空気が漂う。開演5分前のベルが鳴り、注意事項を述べるアナウンスが流れた後の数分間が永遠のように感じられた。
17時半、いよいよ開幕。
冒頭、アンサンブルによる力強いナンバーが終わった瞬間、それまで静まり返っていた客席は、割れんばかりの拍手に包まれた。半分のお客さんとは思えないほどの拍手の大きさに、思わず涙がこぼれる。約半年間、〝ライブ〟に飢えてきたお客様たちの「待ってました!」という喜びの拍手のように聴こえた。
今年の2月以来、演劇界では数えきれないほどの公演が上演中止に追い込まれた。
ホリプロも例外でなく、招聘公演のマシューボーンの『赤い靴』、制作を請け負う彩の国シェイクスピアシリーズ第36弾の『ジョン王』、40年間毎年夏に上演し続けてきたミュージカル『ピーターパン』、アンドリュー・ロイド・ウェバー作曲の新作ミュージカル『スクール・オブ・ロック』などが中止となった。
そんな中、『ビリー・エリオット』(以下、略して『ビリー』)が、2カ月遅れながらも開幕できたことは、いまだに奇跡のように思える。
演劇界で働く複数の知人から「ビリーは演劇界の希望だ」と言っていただいた。作品規模の大きさ、制作にかかる時間、スタッフ・キャストの数などにおいて、『ビリー』は演劇界において最大級であり、「ビリーが開けられたなら、他の作品もきっとあけられる」という意味のようだ。
『ビリー』の東京公演は今も上演中で、コロナウイルスとの闘いは続いており、本当の希望になれるかどうか判断するには早い気もするが、幸運にも公演を続けられている今のうちに、『ビリー』がコロナ禍のなか、開幕までたどり着いた軌跡を、記憶のままに書いてみたい。
ミュージカル『ビリー・エリオット』は1980年代の英国の炭鉱町を舞台に、少年ビリーがバレエダンサーになる夢をつかむ物語。原作は世界的に評価された同名映画(邦題は『リトル・ダンサー』、2000年)。05年にロンドンで初演された。
『ビリー』の日本初演は、2017年の夏、東京と大阪で計126公演が上演され、合計16万人を動員する大ヒットとなった。
作品を日本で上演することを発表した当初は「日本でビリー役を演じられる少年が見つかるわけがない」という声がほとんどであった。ビリーを演じるにはバレエ、タップ、器械体操、歌、芝居など、あらゆる技術が求められるからだ。しかし、全国オーディションで選ばれた5人のビリーたちは見事にその評判を覆し、連日連夜、満員の観客を魅了したのだった。
『ビリー・エリオット』は、炭鉱夫の息子として生まれた少年ビリーが、バレエと出会い、その魅力にとりつかれ、町が炭鉱ストライキで揺れるなか、バレエダンサーになる夢を叶えていくという物語だ。オーディションを経て、ビリー役を演じるための厳しいレッスンを続け、ビリーとして舞台に立つ少年たちの姿が、物語のなかで夢を追いかけるビリーと重なり、観客は少年たちのいつわりのない姿に感動せずにはいられないのである。
大成功を収めた作品は、数年後に再演を検討することが多い。
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