その時代的意味と可能性
2020年10月08日
引退を決めた女性歌手が舞台の上にマイクを置き、静かに去っていく……。これまで何度も話題になり、時にはパロディにもされてきた光景だ。それだけその印象は、忘れられない強烈なものだったということだろう。
この「女性歌手」とは、いうまでもなく山口百恵である。そしてマイクを置いた舞台となった最後のコンサートが日本武道館で開かれたのが、1980年10月5日。ちょうど40年が経ったことになる。そんな節目でもあり、2020年10月3日にはNHKのBSプレミアムでそのときの模様が特別番組として放送された。
このように、彼女はいまだに折に触れて思い出され、引退後ほとんど表舞台には出てこないこともあってその存在は伝説化もしている。ただここでは、「山口百恵」という存在を“時代”のなかに改めて置き直してみようと思う。そしてそこから、現在に通じる可能性を見出してみたい。
彼女のデビューのきっかけがオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系、1971年放送開始)であったことはよく知られている。その応募の理由として、家庭の経済的事情があったかのように言われることも多いが、大ベストセラーとなった彼女の自叙伝『蒼い時』(1980年刊行)では元々番組のファンで、同じ学年の森昌子が出ている姿を見て「私にもできるかもしれない」という気持ちになったと綴っている(山口百恵『蒼い時』集英社文庫、116-117頁)。
ただ山口百恵は、小さい頃から大きな劣等感を抱いていた。喜ぶことの下手な子どもだった彼女は、周りの大人たちから「はりあいのない子」と言われ、心を痛めた。またコミュニケーションが不得手で重要なことを言いそびれてしまったり、チャンスがなくて伝えられなかったりという感じで「口の足りない子」と大人に言われ、それもまた大きな劣等感になった(同書、120頁)。
そういう意味での「暗さ」は、直接ではないにせよ、どこか当時の世情とも響き合っているように思える。
山口百恵が「としごろ」でデビューした1973年は、第1次オイルショックがあった年である。それまでの長年に及ぶ高度経済成長は、そこで明確に終わりを告げた。敗戦からの復興、そして高度経済成長に至るなかで一定の物質的な豊かさは実現されたものの、経済成長という共通の国民的目標は失われた。折しもフォークソングがブームになったように、それはそれぞれが自分の内面を見つめる内省の時代の始まりでもあった。
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