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引退から40年、山口百恵には私たちを魅了する「暗さ」があった

その時代的意味と可能性

太田省一 社会学者

世情と響き合った「暗さ」

山口百恵「コンプリート・シングルコレクション」拡大山口百恵「コンプリート・シングルコレクション」
 山口百恵には、私たちを魅了する「暗さ」があった。

 彼女のデビューのきっかけがオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系、1971年放送開始)であったことはよく知られている。その応募の理由として、家庭の経済的事情があったかのように言われることも多いが、大ベストセラーとなった彼女の自叙伝『蒼い時』(1980年刊行)では元々番組のファンで、同じ学年の森昌子が出ている姿を見て「私にもできるかもしれない」という気持ちになったと綴っている(山口百恵『蒼い時』集英社文庫、116-117頁)。

 ただ山口百恵は、小さい頃から大きな劣等感を抱いていた。喜ぶことの下手な子どもだった彼女は、周りの大人たちから「はりあいのない子」と言われ、心を痛めた。またコミュニケーションが不得手で重要なことを言いそびれてしまったり、チャンスがなくて伝えられなかったりという感じで「口の足りない子」と大人に言われ、それもまた大きな劣等感になった(同書、120頁)。

 そういう意味での「暗さ」は、直接ではないにせよ、どこか当時の世情とも響き合っているように思える。

 山口百恵が「としごろ」でデビューした1973年は、第1次オイルショックがあった年である。それまでの長年に及ぶ高度経済成長は、そこで明確に終わりを告げた。敗戦からの復興、そして高度経済成長に至るなかで一定の物質的な豊かさは実現されたものの、経済成長という共通の国民的目標は失われた。折しもフォークソングがブームになったように、それはそれぞれが自分の内面を見つめる内省の時代の始まりでもあった。

デビュー翌年、夏の歌手・山口百恵さん=1974年、東京・銀座で拡大15歳の夏=1974年、東京・銀座で
 結局のところ、山口百恵の凄さは、
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筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)。最新刊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)。

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