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「歩き」「読み」「書いた」人――池内紀さんの本の世界

松本裕喜 編集者

カフカ

Julie Mayfengshutterstock拡大フランツ・カフカ Julie Mayfeng/Shutterstock.com

 池内さんの仕事で特記すべきは、個人訳の『カフカ小説全集』全6巻(白水社)であろう。

 これまでの『カフカ全集』はすべてカフカの友人マックス・ブロートの編集に基づいていた。ブロートは残されたカフカのノートの断片を継ぎ合わせ、一部をカットしたり、別の断片を結末に持ってきたり、タイトルを変えたりした。

 1968年にブロート死去。以降オックスフォード大学のマーコム・パスリーを中心に新しい全集の編集作業が始まり、大学ノートに書かれていたカフカの手稿をつき合わせ、文字を読み直し、20年後にドイツ語版手稿全集が完結した。

 手稿版では、「カフカのペンの運びがまざまざ見て取れる。行きつ戻りつしていたかと思うと、やにわにペンが走りだし、それがプツリと切れるあたり。ピアニストが演奏に先立ち、指慣らしをするような、あるいは画家がそそくさとスケッチをとったような短い書き出し、膨大な量にのぼる未定稿が、小説家フランツ・カフカをよく示していた」(『池内紀の仕事場3 カフカを読む』)と池内さんはいう。池内訳全集の5・6巻はカフカの手稿そのままの形で草稿と断片を訳したものである。

 池内さんの新訳で『アメリカ』は『失踪者』の書名になり、長編3作品の目次もだいぶ変わった。「海辺のカフカ」と題したエッセイで池内さんは、カフカは観念的な作家ではなく、性愛による官能を書いた作家だとも述べている。

 カフカを論じた池内さんの本は多いが、『カフカの書き方』(新潮社)は手稿版全集のカフカのノートから作品ができるまでの過程を読み解いた本。短編『判決』でカフカは自分の「書き方」を見つけた。作者は、これから作中人物がどうなるか一切知ることなしにトンネルを行くようにして書く。カフカにとって、小説はそのように書かれるべきものだった。また、「失踪者」のカール、「審判」のヨーゼフ・K、「城」のK、作者のカフカも頭文字はKで共通している。つまりカフカ作品の登場人物は、カフカ自身でもありえたと池内さんは論ずる。

 このほか、『カフカの生涯』(白水Uブックス)『カフカのかなたへ』(講談社学術文庫)『カフカ事典』(若林恵と共著、三省堂)が独自な切り口からカフカの不思議な魅力を伝えてくれる。

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筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年、愛媛県生まれ。40年間勤務した三省堂では、『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』シリーズ、『江戸東京学事典』、『戦後史大事典』、『民間学事典』、『哲学大図鑑』、『心理学大図鑑』、『一語の辞典』シリーズ、『三省堂名歌名句辞典』などを編集。現在、俳句雑誌『艸』編集長。本を読むのが遅いのが、弱点。