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コロナ禍の2020年にチャペック『白い病』を訳す

疫病を描いた戯曲が問う、現代の世界と私たち

阿部賢一 東京大学准教授

「管理された情報」が恐怖と不安を増長する

 だが、読み手の感性が変わると、作品の意味も一変する。チャペックの『白い病』もまた、コロナウイルスが猛威を振るう中、病の書物として注目を集めるようになった。

 それ以前に病の書物として本作品に注目したのが、批評家スーザン・ソンタグである。自身も病を体験した彼女は、『隠喩としての病』『エイズとのその隠喩』といった著作を通して、文学における病の問題を考察している。後者でチャペックの戯曲を取り上げたソンタグは、次のように述べている。

 彼[チャペック]は病気そのものではなく、それについての情報を科学者やジャーナリストや政治家が管理をする点に的を絞ることによって、いくつかのことを教えようとしているのだ。(…)チャペックの皮肉はマンガ的に見えるかもしれないが、それは、現代の大衆社会は災厄が(医学的、環境的なそれが)管理された公の出来事になってしまいかねないさまを描き出しているのである。チャペックによる疫病の使い方は、それを報復の手段とするもので(最後には疫病が独裁者本人を倒す)、たしかに伝統的なものではあるにしても、広報活動の意味をとらえる彼のセンスゆえに、病気をひとつの隠喩として理解していることが、戯曲の中で明らかになる。

[スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い/エイズとその隠喩』富山太佳夫訳、みすず書房、2006年、214-215頁]

 ソンタグがこの作品で評価するのは、チャペックが病気を隠喩として捉えていること、つまり、科学者、ジャーナリスト、政治家が疫病の情報を管理し、それによって病気に対する恐怖や不安感が増長されることをチャペックが見事に意識している点である。

 生涯にわたって日刊紙『リドヴェー・ノヴィヌィ』の記者でもあったチャペックは、メディアの本質を肌で理解していた。

 例えば、この戯曲でも、疫病が家庭で話題になるとき、まず新聞の記事が引用され、そこから様々な議論が始まる展開になっている(例えば、第1幕3場、第2幕1場など)。また終盤、開戦を検討する元帥に対して、宣伝大臣は国民感情の誘導を図るべく、メディアへの情報のリークを提案する。このように、メディアが戦争と疫病にきわめて密接な関係にあることを、チャペックは巧みに描き出している。

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筆者

阿部賢一

阿部賢一(あべ・けんいち) 東京大学准教授

1972年生まれ。東京外国語大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は中東欧文学、比較文学。著書に『複数形のプラハ』『カレル・タイゲ』など、訳書にボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』、ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』、パトリク・オウジェドニーク『エウロペアナ』(共訳)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです