[3]風通しのいい組織にして再構築を
2020年10月21日
檀家がお寺とつきあう上で、心理的なプレッシャーを感じることは少なくない。中でも、檀家を辞めるとお寺に伝えることへのプレッシャーは並大抵のものではない。
巷では、檀家を辞める時は、お寺に離檀料を支払わなければならないと言われている。檀家を辞めるためにお寺に支払うお金ということだ。長年、お寺にお世話になった御礼の意味を込めて支払うものということになっている。
インターネットで検索すると、仏事のマナーに関する情報サイトなどでは、離檀料をめぐってお寺と揉めたなどというエピソードがいくつも出てくる。あるいは離檀料の相場はこのくらいだという情報も出てくる。そして法的には支払う義務は無いが、感謝の気持ちとして置いてくるのが筋だということが書かれている。
「お寺にお世話になったことへの御礼」と言うけれども、個人的に言わせてもらえれば、世話になったのはお互い様だと思う。少なくとも経済的には、お寺のほうがお世話になっている。もし、檀家のことを檀那(スポンサー)だと思っているなら、お寺の方が「これまでお世話になりました」と言うのが筋ではないだろうか。
まあ現実的には、そんなことを言ったらお寺と揉めるので、多少のお金を支払ってでも、波風立てずに辞めていこうという人が大部分であろう。
お寺の名誉のために書いておくが、高額の離檀料を請求するお寺はさほど多くはない。一切とらないお寺もある。一部のお寺が、高額の離檀料を請求することで、それがクローズアップされているだけである。
ただそれが高額であろうと低額であろうと、辞めるのにお金が必要なことに納得している人はほとんどいない。
この離檀料も、心理的なプレッシャーとなっているのは間違いない。檀家を辞めるというのは、そう簡単なことではないのだ。
そもそも檀家と菩提寺という関係は、室町時代に惣村(自治を持った村)が生まれたことがきっかけでつくられたものだ。村人達の葬送のために、惣村が檀那、つまりスポンサーとなってお寺を開いたのである。
当初は村人の自発的な意思によってお寺を支えるという関係だったし、村とお寺がお互いリスペクトを持って、ともにお寺を支えていたはずだ。
ところが江戸時代になって、お寺に戸籍を管理させる寺請制度がつくられると、お寺と檀家の関係性が大きく変わっていく。
寺請制度は、単なる戸籍管理のための制度ではない。幕府の目的は、禁制のキリシタンを監視することにあった。キリシタンでないことを証明する寺請証文というものを、お寺に発行させる役割をあたえていたのである。
これによって、お寺は、絶大な権力を持つようになる。寺請証文を発行してもらえなければ、キリシタンとして取り締まりの対象となってしまうからだ。
当時のお寺と檀家は、かなり支配的な関係だったようだ。前述のような、他のお寺に葬儀や法事を頼んではいけないとか、檀家を辞めることに制限があるといった慣習は、まさに江戸時代の名残である。
寺請制度は、明治になると廃止されるが、支配的な関係性が無くなることはなかった。もちろん江戸時代に比べれば、かなり緩やかにはなっている。ただ、まだまだ抑圧的なところは残っており、それがお寺と檀家の関係をギクシャクさせるのである。
檀家を辞めるのが難しいということは、一方でお寺の運営に安定をもたらしてきたということでもある。
会員組織というものはどんな組織でも、会員の減少にどう歯止めをかけるかが大きなテーマである。常に会員が満足するような活動をしていなければ、会員は簡単に辞めていく。時代の変化を見ながら、会員が何を求めているのか、会員がどんな環境にあるのかに配慮していかなくてはいけないのである。
ところがお寺の場合は、簡単に辞めることができない。極端な話、どんなにひどいお寺でも、檀家の数はそう簡単に減らないのである。
そしてそれが行き着くところは、
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