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ドラマでも全開、つかこうへいの人心掌握術

1982年『つか版・忠臣蔵』てんまつ記⑥

長谷川康夫 演出家・脚本家

 「打倒!紅白」を合言葉にテレビ東京で放送された1982年大晦日のドラマ『つか版・忠臣蔵』の顚末をつづる6回目、リハーサルも佳境に入ります。
 (顚末記のこれまで、1回目2回目3回目4回目5回目

つかが温めていた「泣き女、志乃」

松坂慶子=1978年撮影
 松坂慶子が『つか版・忠臣蔵』で演じたのは、能登の七尾の泣き女、志乃という役である。

 宝井其角の父の葬儀に雇われ、その泣き姿を披露して以来、其角が激しく想い焦がれる志乃は、今は近松門左衛門のものとなり、大阪の近松邸に身を寄せている。そしてこの三角関係にもがく其角の情念こそが、赤穂藩士たちを討ち入りに追い込んでいく形で、物語は押し進められるのだ。

 「泣き女」という設定は、つかこうへいが自分の作品の登場人物として、ずっと温めてきたものだ。

 1972年、つかが慶応から早稲田の劇団『暫』に乗り込んで来たとき、様々な稽古の中に、「泣き女のお志乃さん」の台詞というものがあったという。当時を知る井上加奈子(『劇団つかこうへい事務所』創立時からの女優であり、現在は平田満の妻)がその一部分を、『つか正伝』の取材の折、披露してくれたことがある。

 「ばってん、うちは惚れちょりますけんね。どげん仕打ちば受けても、しかたがなか思うちょります。信じちょります、あの人ば。うち、学校行っちょりませんし、なんも知りまっせん……」

 果たしてそれがどんな芝居のどの場面でのものだったか、「泣き女」とどう関わるのか、井上の記憶にはなかった。しかし『熱海殺人事件』の劇中劇でのアイ子や、『寝盗られ宗介』の女房の台詞へと繋がる、女性の切ない心情を訴える九州弁の威力を、つかはその頃から自分のものにしていたのだと、僕は井上の台詞を聞きながら、感心した覚えがある。

「四十七人、皆殺し」と言い放つ女

松坂慶子=1978年撮影
 『つか版・忠臣蔵』でもそのままの名前の志乃は、〝由緒ある〟能登の七尾の泣き女としたために、九州弁ではないが、つかが必ずどこかで使おうと考えて来た「その泣き声で弔い客たちの悲しさを募らせ、涙を誘う行為を商いとし、彼らの夜伽まで請け負う卑しい女」という情感は、ようやくこの作品で日の目を見たわけである。

 しかしながらつかは、松坂慶子演じる泣き女「志乃」を、ライバル二人、宝井其角と近松門左衛門の間で揺れ動き、苦悩するだけの存在とはしない。結局、男二人ともが彼女の思惑の中、その掌(てのひら)の上で踊らされている――というのが『つか版・忠臣蔵』のテーマとなるのだ。

 それはどこか『蒲田行進曲』での小夏と重なるところがある。

 「四十七人、皆殺しにさせてもらいます!」

 低く言い放ち、顔色も変えずに近松の右腕を斬って落とす、志乃の激烈さは、まさにつか好みのキャラクターと言っていいだろう。

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