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障害者が地域で生きる選択肢:「普通に死ぬ~いのちの自立~」を観て

「普通」の生活と生涯を送るために。葛藤と模索の映画から見えたもの

土橋喜人 宇都宮大学客員教授・スーダン障害者教育支援の会副代表理事

2.普通に生きて、普通に死ぬこと

 今の世の中で、普通に生きて、普通に死ぬこと、ができない人達がいる。普通に生きて、普通に死ぬために、必死に努力している人達がいる。その姿を貞末監督が二つのドキュメンタリー映画という形で残した。

 私が人目をはばからずに泣いた前作の「普通に生きる」が生み出した世界とは、家族への負担の重さ、それを支えようとする事業所の方々の努力、感情豊かに反応する障害を持った子どもたち、であった。重い障害を持って生まれたら、どのように生きる選択肢があるのだろうか? それを問うたのが、施設で生きていくのではなく、地域の中でどうやって「普通に生きる」かの試みをした 社会福祉法人インクルふじを中心とした様々な事業所の取り組みを映した前作のドキュメンタリーだった。

生活介護事業所「でら~と」で日中の時間を過ごす仲間たち拡大生活介護事業所「でら~と」で日中の時間を過ごす仲間たち

 今、封切られたばかりの新作の「普通に死ぬ」では、その後の家族や事業所の動きが描かれていた。障害児から大人になって障害者となり、同時に親は高齢になっていく。自然の摂理で当然のことである。そうなった時に障害児・者の親は、最後まで自分の子供を手元で看取ろうとすることが多い。ただ、肉体的にそのようなことができなくなり、障害者施設に入れるか、様々な制度を使ってわが子が地域で生活できるように工夫をすることが必要となる。

 この映画で描かれている様々な事業所の運営者たちは、真剣にどうやったら様々な制度を使って最後まで地域で生きていけるのかを模索している。時にそれは意見がぶつかり合っているところもあからさまに映し出していた。現実としては、そうした意見のぶつかり合いもあるということをあえて見せることで、本作の関係者は、障害者が地域で生きることの難しさの重大さを伝えようとしていたのではないか。

 後半で、関西の障害者の事業所が出てきて、その取り組みの紹介もあった。障害者の自立生活運動では、“ピアカウンセリング”という障害者のロールモデルを見せて、多様に生きることができることを示す手法がある。この関西の事業所への取材は、団体同士のピアカウンセリングともいえるアプローチに思えた。その中で西宮市の事業所の元園長で現在は西宮市の社会福祉協議会で働く方が「障害があっても、親を看取り、そのままその地域で暮らしてゆくことは、当たり前のことでしょう?」と語った。即座にその一言がこの新作の映画のタイトルと結びついた。

西宮市社会福祉協議会常務理事・青葉園元園長・清水明彦さん拡大西宮市社会福祉協議会常務理事で青葉園元園長の清水明彦さん

 一生懸命に、障害を持ったわが子を地域で育てつつも、親が自分たちの死後を案じて、その子を看取ることを望むというのは普通なのだろうか? 親が死んでいくのを看取るのが「普通に死ぬ」なのではないか? そのために、大人になった障害者が地域で生きていく場を、どのように作ることが可能なのか? そのために膨大な労力と工夫が必要となる。その世の中が、みんなが生きやすい世の中と言えるか? 様々な問いかけが本作には含まれている。

 前作では、私は一人の障害者として観ていたが、今回は博士号を取得し、専門家の立場としてみることとなり、共感して泣くことよりも、どうすれば生きやすい世の中となるのか、といったことが頭を巡った。本作の中でも言われていたように様々な制度は整備されているが、十分に活用はできていない。その為にどうやって知恵を出していくのか、専門家の立場としても考えさせられる作品であった。


筆者

土橋喜人

土橋喜人(どばし・よしと) 宇都宮大学客員教授・スーダン障害者教育支援の会副代表理事

札幌市出身。国際基督教大学(ICU)教養学部卒業。民間銀行、青年海外協力隊を経て、JETROアジア経済研究所開発スクール(IDEAS)および英国マンチェスター大学開発政策大学院(IDPM)修士課程を修了後、特殊法人国際協力銀行(JBIC)および独立行政法人国際協力機構(JICA)にて正規職員として勤務。2020年に宇都宮大学大学院工学研究科博士後期課程(システム創成工学専攻)を修了。博士(工学)。現在、都内の複数の大学の非常勤講師を兼務。 【Facebook】土橋喜人【Twitter】Yoshito Dobashi, @tomasidobby

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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