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障害者が地域で生きる選択肢:「普通に死ぬ~いのちの自立~」を観て

「普通」の生活と生涯を送るために。葛藤と模索の映画から見えたもの

土橋喜人 宇都宮大学客員教授・スーダン障害者教育支援の会副代表理事

 内閣府の「障害者白書」の最新刊では、国民の7.6%が何らかの障害を持っていることとなっている。私自身、22年前の交通事故で二輪車走行中に飲酒運転の自動車に正面衝突され、一命は取り留めたが、半年以上の入院・治療を経ても左足三関節に障害が残り、身体障害者3級である。だが友人や知人や職場の人は片杖で歩く私を障害者として接することは殆どないし、私も意識することはほぼない。

 しかし、重度の障害のある人たちは、様々な支援等を受けながら生活するか、あるいは施設に入ってその生涯を過ごす。その前者の姿を描いたのが、マザーバードの「普通に生きる~自立をめざして~(注1)(2011年度作品)であった。私がその作品を初めて観た時、家族にかかる負担、地域に生きることの難しさ、そして「普通に生きる」ことの難しさが伝わり、号泣した。泣きながら上映後の貞末麻哉子監督挨拶の時にフロアからコメントをした。監督とはそれ以来、親しくさせていただいている。

 その続編の「普通に死ぬ~いのちの自立~(注2)が遂に完成して、全国各地での上映会が始まった。そこから見えたものについて本論にてお伝えしたい。

向島育雄さん。母の宮子さんが病に倒れ、在宅生活の場を失った育雄さんをどう支えるかが、映画の主題のひとつとなる向島育雄さん。母の宮子さんが病に倒れ、在宅生活の場を失った育雄さんをどう支えるかが、映画の主題のひとつとなる

1.世の中で起きていること

 先ずは、神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」の殺傷事件である。多数、この論座で書かれた記事等があるので詳しくは述べない。一点だけ、朝日新聞でも記事(注3)になっているが、優生思想についてはナチスドイツの時代に有名なユダヤ人の大虐殺の前に、自国民の障害者を抹殺していたことを伝えたい。英語のみとなるが、私の友人で作家のケニー・フリース(Kenny Fries)氏が「1940年の夏にここで何が起きたのか?(私訳)」(原題名:“What Happened Here in the Summer of 1940?”)のYouTubeのビデオでも表している(注4)。日本障害者協議会(JD)の代表の藤井克徳氏の著書「わたしで最後にして:ナチスの障害者虐殺と優生思想(注5)では、大量の障害者を虐殺したことだけでなく、その家族も加担したこと、日本を含む他国の優生思想の政策についても表している。いずれも、とても重い問題提起をしている。

 また京都市のALSの患者が医師2人の手を借りて、自ら望んで死を遂げた。これもこの論座で多数書かれている。私が問題にしたいのは、安楽死の議論ではなく、亡くなった障害者達が絶望感を覚え、生きる希望を失っていた点にある。私は重度の障害を持っているわけではないので比較にならないが、障害者になったことで生きることに失望するほどの状況に陥ったことはない。

 では重度の障害を持った人たちは生きる価値がないのだろうか? 生きる希望がないのだろうか? そのことが「普通に生きる」「普通に死ぬ」という素朴な映画のタイトルに秘められているように感じる。

2.普通に生きて、普通に死ぬこと

 今の世の中で、普通に生きて、普通に死ぬこと、ができない人達がいる。普通に生きて、普通に死ぬために、必死に努力している人達がいる。その姿を貞末監督が二つのドキュメンタリー映画という形で残した。

 私が人目をはばからずに泣いた前作の「普通に生きる」が生み出した世界とは、家族への負担の重さ、それを支えようとする事業所の方々の努力、感情豊かに反応する障害を持った子どもたち、であった。重い障害を持って生まれたら、どのように生きる選択肢があるのだろうか? それを問うたのが、施設で生きていくのではなく、地域の中でどうやって「普通に生きる」かの試みをした 社会福祉法人インクルふじを中心とした様々な事業所の取り組みを映した前作のドキュメンタリーだった。

生活介護事業所「でら~と」で日中の時間を過ごす仲間たち生活介護事業所「でら~と」で日中の時間を過ごす仲間たち

 今、封切られたばかりの新作の「普通に死ぬ」では、その後の家族や事業所の動きが描かれていた。障害児から大人になって障害者となり、同時に親は高齢になっていく。自然の摂理で当然のことである。そうなった時に障害児・者の親は、最後まで自分の子供を手元で看取ろうとすることが多い。ただ、肉体的にそのようなことができなくなり、障害者施設に入れるか、様々な制度を使ってわが子が地域で生活できるように工夫をすることが必要となる。

 この映画で描かれている様々な事業所の運営者たちは、真剣にどうやったら様々な制度を使って最後まで地域で生きていけるのかを模索している。時にそれは意見がぶつかり合っているところもあからさまに映し出していた。現実としては、そうした意見のぶつかり合いもあるということをあえて見せることで、本作の関係者は、障害者が地域で生きることの難しさの重大さを伝えようとしていたのではないか。

 後半で、関西の障害者の事業所が出てきて、その取り組みの紹介もあった。障害者の自立生活運動では、“ピアカウンセリング”という障害者のロールモデルを見せて、多様に生きることができることを示す手法がある。この関西の事業所への取材は、団体同士のピアカウンセリングともいえるアプローチに思えた。その中で西宮市の事業所の元園長で現在は西宮市の社会福祉協議会で働く方が「障害があっても、親を看取り、そのままその地域で暮らしてゆくことは、当たり前のことでしょう?」と語った。即座にその一言がこの新作の映画のタイトルと結びついた。

西宮市社会福祉協議会常務理事・青葉園元園長・清水明彦さん西宮市社会福祉協議会常務理事で青葉園元園長の清水明彦さん

 一生懸命に、障害を持ったわが子を地域で育てつつも、親が自分たちの死後を案じて、その子を看取ることを望むというのは普通なのだろうか? 親が死んでいくのを看取るのが「普通に死ぬ」なのではないか? そのために、大人になった障害者が地域で生きていく場を、どのように作ることが可能なのか? そのために膨大な労力と工夫が必要となる。その世の中が、みんなが生きやすい世の中と言えるか? 様々な問いかけが本作には含まれている。

 前作では、私は一人の障害者として観ていたが、今回は博士号を取得し、専門家の立場としてみることとなり、共感して泣くことよりも、どうすれば生きやすい世の中となるのか、といったことが頭を巡った。本作の中でも言われていたように様々な制度は整備されているが、十分に活用はできていない。その為にどうやって知恵を出していくのか、専門家の立場としても考えさせられる作品であった。

3.何が足りないのか

 では何が足りないのだろうか? 一つは映画のタイトルとも重なるが、どうやって生きてどうやって死ぬかの人生設計であろう。それは健常者も障害者も同じである。健常者も多くの人は、高校か大学を出て働きに出れば、それなりの人生を歩めると思っている。それが「普通の生き方」であろう。

 しかし、実際に社会に出ると色々なことが起きる。そのような時に支えてくれるのが社会保障の枠組みである。障害者、特に重度の障害者は社会保障の様々な仕組みによって支えられている。健常者でもそのお世話になる人は少なくない。実際、健康保険や年金制度、介護保険なども社会保障の一環である。不幸にして仕事を失えば失業保険があるし、働いていて事故に遭えば労働災害保険(労災)で支援が受けられる。また、最後の砦としては生活保護の制度もある。我々は様々な政府の制度で守られていることになっている。

 私がここで「守られている」ではなく「守られていることになっている」と書いたのは、制度があっても十分に国民が理解できずに使いこなせておらず、恩恵を充分に受けることができていない人達が多い為である。そして使いこなせないと同時に、使おうとしても制度の複雑さ、行政窓口の官僚主義、水際作戦(行政が窓口で追い返す)等、使うことを阻む要因もある。重度の障害者はその仕組みや制度の支えが大きいことから、使いこなすことが健常者以上に重要になる。

 一方、そのような制度は、(良かれと思ってするものも含めて)様々な改革によって、刻々と変わっていく。制度はかなり複雑であり、福祉業界での難関の資格を取得しているケアマネージャー(介護支援専門員)の人達ですら、新しい知識を付けていくことに必死である。専門家のケアマネージャー、サービス提供責任者、ソーシャルワーカー、ヘルパー、医師、看護師、自治体職員、行政官等も懸命である。下肢3級程度の障害者である私ですら、数年おきの様々な手続き(例えば杖の買替)の煩雑さに辟易するが、手続きをしないと生活に困ることになる。障害者になって20年以上になる私ですら、この状況である。

 これらが重度障害者になることを想像してほしい。家族が必死になって支えようとするが、それでも支えきれないことが出てくる。民法に親族の扶養義務が規定されているとおり、家族が支えなければならない。でもそれには限度がある。それを支えるのが社会であり、自治体であり、政府であるはずだ。様々な試みが政府でもなされて、色々な制度が導入されてきた。しかし、それらにも地域間格差、認知度の低さ、人材の不足、等といった問題点を抱えている。それらのことを、皆、知っているだろうか?

 冒頭でALS患者の安楽死の話をしたが、その人が自分で自分のことができないというつらさはあるものの、そのような生き方も普通だというように受け止めることができていれば、異なる決断をできていたのかもしれない。私は障害者といってもそれほど重度の障害者ではないため、強くいうことはできないが、生きる希望をどうやって見出すことができるかは、どれだけの選択肢を知っているかということとも関連するのではないだろうか。東京大学の熊谷晋一郎准教授は「自立とは依存先を増やすこと」と言っている。依存していくことは決して悪いことではない。そもそも、人間は支え合って生きている。それは「人」の文字に表れていることは誰でも知っている。

 つまり、問題は制度が複雑であることと、情報が十分に行き渡っていないこと、依存することを拒むこと、頼ることを考えないこと、にあるのではないか。これらの現実を受けとめて、様々な選択肢があることを知ることで、より多様な生き方を選んでいくことができるのではないだろうか。生きていくという選択をしたくてもできない方も多いと思うが、社会の制度がその生活を支えることがわかっていて、なおかつそれが「普通の生き方」として受け止められるようになるのであれば、重度の障害者の生き方は変わってくるのではないだろうか。人間の尊厳に対する捉え方も変わっていく可能性があると思う。

 その突破口となるのは本人の意志、家族や周囲の支援や思いであり、かつ心優しい気持ちを持つ専門家であろう。家族の支援や思い、「愛」は重要であり必須である。冒頭に述べた20世紀初頭の優生思想の歴史の中で私が驚愕したのは、障害者の抹殺にその家族も協力したという点である。本作に出てくる家族の方々は皆、障害を持っているいないに関わらず家族への愛がある。そして、少しでも障害児・者が潤いを持った生活を送ることができるように飾りやおめかしや着物など、様々な「楽しみ」を提供している。それに対して、重度の障害を持った当事者たちは、それぞれの形(声を出す、手を振る等)での感情表現をしている。その感情表現は家族やその当事者の傍にいる人にはわかるものである。

 加えて、本作では、自分の仕事の領域を越えて病院と通所施設との往復を支えた看護師や、岐阜から富士に単身赴任してきた元副施設長(看護師長)などが登場する。このように支えてくれる専門知識を持った人たちがいて、方向性が変わるのだと思う。それによって「医療ケア」で生きながらえるのではなく「福祉制度」を使った「普通の生活」に近づけることができる。また、私も自らの研究で学んだことであるが、関西人の気質には「ともかくやろうや」という失敗を恐れない逞しさを感じる。そのような姿勢も重要な要素だと思う。本作でも「一歩踏み出さないと何も変わらない」という言葉もあった。日本人は失敗を恐れがちになり、そのためにやればできることもやらないことが多くあるのではないだろうか。

4.希望と懸念

 そのような世の中であるが、希望がないわけではない。最初に述べたように様々な制度改革によって、家族による支援から社会による支援へと制度が変わってきた。また、私の現在の専門分野である交通バリアフリーについても、1990年代には各地での福祉のまちづくり条例ができ、1994年のハートビル法、2000年の交通バリアフリー法、2006年のバリアフリー新法、2016年に障害者差別解消法、2017年のユニバーサルデザイン2020行動計画(UD2020)(注6)と様々な法令等が立ち上がり、あるいは改正されてきている。

 また、2019年の参議院選挙では3名の重度障害者が当選し、国会議員となった。そのことで、障害者の環境改善を直接、訴えることができ、実際に徐々に変わりつつある。国際的な視点から見れば、国連障害者の権利条約に関する障害者権利委員会による審査(建設的対話)を日本が2020年に受けることになっていたのが順延されているが、そこでの勧告によって更なる取り組みの進化を求められることになるであろう。

 そしてUD2020に示されているように東京オリンピック・パラリンピックを契機に、ユニバーサルデザインと心のバリアフリーを中心とした取り組みが実施されることが官邸主導で決まっている。これを受けて教育指導要領が改正され、心のバリアフリーが義務教育の中にも取り込まれることとなっている。

母の遺影を抱いて成人式を迎える沖茉里子さん母の遺影を抱いて成人式を迎える沖茉里子さん

 実際、家族は子供に楽しみを与えて、少しでも潤いがある生活を実現しようとする。映画の中では20歳を迎えた重度障害者がおめかしをして成人式を迎えるシーンがある。こうしたことや、他人との交わりによって、生活の楽しみが少しでも出てくることになる。仲間がいることが救いになる。その為に集える場を作ったのが、前作の「普通に生きる」であった。

 これだけを聞くと、日本が良い方向に進んでいると思われるかもしれない。しかし、実際には、制度が整っていても実態が伴わないことが多い。例えば、私の研究テーマの一つである優先席における主な対象者である高齢者・障害者による優先利用のマナーは守られているとは言い難い。私も杖を突いて優先席前に立っていてもたまに譲られる程度である。

 それが更に重度障害者となると、その生きる権利や尊厳がどれだけ守られているのだろうか。そのことを考えさせられるのが「普通に生きる」や「普通に死ぬ」に描かれた世界である。重度障害を負ったというだけで、他の人と同じような生活ができないのは理不尽なのではないだろうか? それは仕方のないことなのか? 誰でも障害者として生まれる可能性もあるし、私のように中途障害になる可能性だってある。

在宅生活の主たる介護者(ケアラー)である、同居する母親を亡くした沖茉里子さんの今後の生活について支援者たち
 が議論するシーン
在宅生活の主たる介護者(ケアラー)である、同居する母親を亡くした沖茉里子さんの今後の生活について支援者たち が議論するシーン

 制度はあるものの、知恵を絞りながらうまく利用する方法を考えなければならない。本作の中で、事業所の関係者たちが、重度障害を負った女性への対応について話し合っていた時に、その障害を持った女性のお姉さんが「前向きに考えているように聞こえない」といって涙ながらに訴えるシーンが出てくる。彼女の想いは痛いほどわかる。様々な介護制度や障害者福祉制度の話が出てきて、本作の舞台の富士市の事業所の法人の理事や所長や元看護師長等の専門家達が張り詰めた中、険しい顔で意見がぶつかり合う話し合いをされたら、当事者の家族としては心が張り裂けそうになるのは当然である。それは実は真剣であるが故に熱い議論になるのである。

重度障害の沖茉里子さんの姉・侑香里さんが「前向きに考えているように聞こえない」といって泣きながら思いを伝えるシーン重度障害の沖茉里子さんの姉・侑香里さんが「前向きに考えているように聞こえない」といって泣きながら思いを伝えるシーン

 「在宅医療(訪問診療制度)の体制のルールは作ってくれているが、ルールをうまく活用できていない。チームを作ることの難しさがある。」といった趣旨の発言が出てくる。まさにそれを映像で表現したのが本作である。

 このことは、実は我々一般市民も体験することになる。何故ならば、誰でも年を取るわけで、高齢になれば色々な福祉制度を活用する必要が出てくる。そのすべてをわかっている一般市民などいない。そうであるが故に、行政や福祉の現場の人間の対応が重要になってくる。長年市役所で福祉部門に勤務されていた大学の先輩から聞いた話だが、何の手続きを行えばよいか、理解して役所に来る市民は少数派であり、「福祉の手続きに来た」とだけおっしゃる市民も多いとのことである。その迷っている市民にどうやってアプローチするのか、どうやってご案内するのがいいのか、に思案していたという。役所内でもサービスや制度ごとに担当課・係や担当者が分かれ、その担当者でないとわからないことも多く存在している。そのことを理解して、行政や福祉を活用していくことが必要であり、また市民として上手に生きていく術だと思う。この他、専門家でないと理解できない複雑な制度にならない配慮と、その視点からの見直しも必要であろう。

 そして、伊丹市の方が言っていた言葉で私が元々、専門としていた国際協力に通じる言葉があった。「(最後には)ここ(事業所)は消滅させたいんです」ということである。国際協力による援助も最後はなくなって、世界中の人が幸せな生活を送れるようになるのがいい。そう思わない人はいないのではないか?

 しかし、本作でも新規事業所建設の反対運動の話が出てきたように障害者への理解がない場合もあるのが現実の世の中である。私も学会の研究活動で障害者差別解消法の研究をしている中で、似た事例を行政側から聞いている。理解のない人は少ないとは言えない。

 またこの映画で描こうとしているのは重度障害者の生活を地域や制度で支えることではあるが、それでも家族への負担は大きい。西宮市でガス抜きの意味合いも込めてオープンハウスをする重症児の在宅生活をするお宅が紹介されていたが、そのような形(工夫)で少しでも気分的にでも負担を軽くしていくことが重要であろう。そして、困りごとを持ち寄って助け合う姿も映されたが、そのような取り組みに希望を見出したい。

5.結び

 長々と綴ってしまったが、言いたいことは、少しでもできることを見つけてやるということである。希望は持ち続けていてほしい。私自身、1998年の交通事故の際には7か月の入院期間中も不思議と希望の灯は消えず、2年後に英国留学を果たした。

 希望は捨てない、けれども無理はしない。ダメな時には気兼ねなく助けを求められる。そんな世の中であってほしい。それは、障害を抱えた本人もそうだし、家族もそうだと思う。そのような希望の祈りを込めたのが「普通に生きる」「普通に死ぬ」だと思う。何も特別なことを欲しているわけではない。ただ「普通」の生活が、「普通」の生涯が欲しいだけである。それを願うのはない物ねだりなのだろうか? 社会にそれを支えていく力がないのだろうか? そのようなことはないと願う。支え合って生きていくことができる社会であってほしい。その祈りがこの映画には込められているのだと思う。

【注】
(1)http://www.motherbird.net/~ikiru/

(2)http://www.motherbird.net/~ikiru2/

(3)https://digital.asahi.com/articles/ASN3B5RKZN3BUCLV008.html

(4)https://www.kennyfries.com/summer-of-1940

(5)https://www.godo-shuppan.co.jp/book/b474135.html

(6)https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/ud2020kkkaigi/