2020年10月28日
ハンナ・アーレントは、ずっと怖かった。本心を射ぬくような、見透かすような、あの表情が。だが最近、仕事の参考で『暴力について――共和国の危機』(みすず書房)を開く機会があった。惹き込まれた。現在の内外の「危機」を予言したかのような箇所さえある。
この『読本』は本来、研究志望者が対象かもしれないが、親しみやすい。まず、「序」がとてもよい(執筆は編集委員・三浦隆宏氏)。構成が明瞭に、出版の背景が快活に、伝わる。しかも、4歳のご子息が打ち合わせに同席した話題があり、刊行までに〈新たに父となり、母となった者〉が執筆陣に複数いる、と続く。これ、ただの楽屋噺ではない。かかわった人々が、いわば≪活動的な生≫のまっ只中にあるという証なのである。
全体は4部から成る。第Ⅰ部〈アーレントにおける基本概念〉(15項目)、第Ⅱ部〈現代世界におけるアーレント〉(15項目)、第Ⅲ部〈各国における受容〉(4項目)、第Ⅳ部〈著作解題〉(21項目)だ。各部の諸論考の間に計12個のコラム、巻末には略年譜と索引。
もし予備知識が(自分同様に)乏しければ、目についたコラムから読んでみるのもよい。例えば、ベンヤミンについて細見和之氏が、スピノザについて國分功一郎氏が、アーレントのかかわりや関心について述べている。さすが、2人とも(自著同様に)惹きつける。
もちろん、「核」と思われる〈基本概念〉からじっくり読み進むのもよい。なんと〈1 愛〉で始まり〈15 世界〉で締め括られる。美しい。その間、〈3 全体主義〉(牧野雅彦氏)の直後にハイデガー(!)、ヤスパースのコラムが、〈8 公と私〉(川崎修氏)の後にヨナス(生涯の友)、アンダース(最初の夫)、ベンヤミン(その遺稿出版にアーレントは腐心した)のコラムが続く。呼吸を心得た、実に魅力的な構成だ。
もとより「愛」から「世界」へと至る道筋は、常に快適とはいかない。読者を厳しく冷徹に測るような哲学的論考も並ぶ。だが、最も注目されるはずのテーマ〈10 アイヒマン裁判〉の執筆が(「序」を書いた)三浦隆宏氏であるのは、一般読者には幸いだ。あの「悪の凡庸さ」の理解のため、この国の官僚の「決まり文句」にも言及しつつ、今日的な脅威として痛切に、かつ平明に説いている。
威厳溢れる人文系版元の代表格、法政大学出版局の刊行なのに、なぜかくも魅惑的な『読本』に仕上がったのか。お訪ねした編集担当の郷間雅俊さんは、静かに、知的に経緯を話された(経緯の一端は本書にも明記)。
編者「日本アーレント研究会」の発端は、一橋の大学院生だった女性2人の〈小さな会〉である。2003年から続いたこの会に、やがて〈全国各地の若手アーレント研究者らが分野を超えて集〉い、本書を編むような体制の組織となったのは、2018年のこと(だから、執筆者たちは比較的若い)。つまり、1975年に69歳で逝去した後の遺稿の刊行もふくめ、著作の大半が20世紀中に邦訳されていたのに、日本には最近まで、アーレントの「研究会」は無かったのである。意外というほかはない。
郷間さんの話では、2010年前後が研究の画期でもあったようだ。以後、一般書も増え、2013年公開の映画『ハンナ・アーレント』のヒットも重なり、研究者でない人たちにも認識が広がった。
17年前〈小さな会〉を起こしたのは、阿部里加氏と小山花子氏。2人は、『読本』〈基本概念〉でそれぞれ〈1 愛〉と〈11 真理と嘘〉を執筆した。愛、真理と嘘……もちろん、平俗な道徳としてではない。前者は「哲学」の、後者は「政治」の文脈で、アーレントの思想が精緻に論じられている。
その阿部氏と、編集委員4氏(三浦隆宏、木村史人、渡名喜庸哲、百木漠)ほか数名が中心となり、意欲的な方針が企図されたらしい。その成果はまず、項目の念入りな選定と、有機的で効果的な配列に違いない(だからこそ、自分のような非研究者をも読者にさせた)。だが、読本を単なる論集ではなく「使えるガイド」にという認識の共有がなければ、例えば、既刊書を一望する〈著作マップ〉なんて発想は生まれなかったはずだ。生前の公刊か歿後の編集か、執筆が数年に渡る著作はその時期が、また、ハイデガーやヤスパースやブリュッヒャー(終生の夫)らとの往復書簡はその断絶も含む期間が、一目瞭然。主な会員が、70~80年代生まれ(90年代以降もいる!)ならではの〈マップ〉構想と実践だったのではないか。絶賛したい。
ただ〈著作マップ〉で明示し切れない著作もある。これは別に年次、言語(英独)、邦訳の経緯、変更点が、端的に図表化されている。『全体主義の起原』(みすず書房)の解題だ(担当は石神真悠子氏、百木漠氏)。勉強になる。
ズバリ売れ行きを尋ねると、まず『アイヒマン』。続いて『全体主義の起原1(反ユダヤ主義)』、『同3(全体主義)』、『同2(帝国主義)』が、上位4点だという。『全体主義の起原』全3冊は、2017年9月、NHKのEテレ「100分de名著」で紹介されるのを視野に、A5並製の旧版の訳文を改め、解説も一新して四六上製の新版としたことが奏功した。同年、『アイヒマン』も同じくA5判の旧版(2段組!)の訳文を見直し、四六上製版(1段組)の新版として刊行、売り上げを伸ばした。社内の空気としては当初、旧版で実績が十分なこれらの新版化に躊躇もあった。だが、編集責任者の守田省吾社長が断固推進し、好結果につながった。
英・独の両版を、『読本』〈著作解題〉は、すっきり説明してくれる。〈『人間の条件』で読んでよくわからないところを『活動的生』で読むことではっきりすることがあるが、逆の場合もあり……二つのテクストは相補的な関係〉(執筆は青木崇氏)。しかも、後者の訳業は、母語ドイツ語によるアーレントの思索がうねり回るような原著を解きほぐし、うねりに負けない伴走者の資格を読者に授け(日本翻訳文化賞も授かり)、好評を得た(手元のは7刷。みすずの売り上げは上記の4点につぐという)。その、名訳者森一郎氏が、『読本』〈基本概念〉の〈15 世界〉では、『活動的生』の労作を踏まえた、すこぶる衝撃的な≪アーレントの「世界」≫の案内者となっているのである(ぜひ『読本』に当たってみてください)。
みすずでの話で興味深かったのは、旧版『全体主義の起原』は多くの書店で「社会科学」の棚に置かれていたが、新版は「哲学・思想」に移ったということ(分類コードでは「政治‐含む国防軍事」)。営業的には両方で展開したい。だが、店内在庫照会がオンラインで瞬時に可能な時代でもある。難しい。
ここで、『読本』第Ⅱ部の、〈10 政治学〉の指摘がよぎる。なんと彼女の著作は〈政治科学的な研究とみなされていない〉。例えば〈全体主義論において、客観的な定義といえるものを見出すことは困難〉で、今日の政治科学研究との違いで際立つのは、彼女が〈因果関係の析出という目標自体に批判的なこと〉。もちろん、執筆の乙部延剛氏は、彼女を批判したいのではない。むしろ〈伝統的な政治思想を援用しつつも、それを独自の仕方で用いることで、新たな局面や事例を思考する手がかりとした〉彼女の、今なお褪せない意義を称揚するのだ。
この一節は、矢野久美子氏が『ハンナ・アーレント――「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書)の中で引いている。矢野氏もまた、『読本』の執筆者だ。コラム〈物語り〉で矢野氏は、実に印象的な言葉を、訳出してくれた。〈円がその中心に結びつけられたままであるように、思考の営みが描く曲線は、事件に結びついていなければなりません〉。原文は、未邦訳の論考『Thinking without a Banister(手すりなき思考)』に収録とのこと。『読本』〈著作解題〉はこの表題を、〈アーレントが自身の思考の経験を表現したもの〉と説明する(執筆は田中直美氏)。なるほど、そのせいか『読本』の執筆者たちも、「手すりなき思考」を、警句として象徴的に使っている。
しかし、である。我々にはやはり、≪手すり≫が必要なのだ。先ほどの〈円〉の一節から、自分は天空に輝くアーレントという≪恒星≫を連想した。この『読本』こそ、光を放ち続ける星へと導くきざはし(階段)に備わる≪手すり≫ではないのか……あるいは、≪星図≫。接近に迷ったとき本書を開けば、各項目は直ちに「星団」と化し、「複数」の「要素」を示す。今後いつでも、≪恒星≫への挑戦の、新たな標べとなってくれるであろう。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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