前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【30】高倉健「唐獅子牡丹」
前回では、「唐獅子牡丹」が生み出した「表の世界」にまつろわぬ者たちの束の間のアジールについて、私の世代的な共通体験から検証をこころみた。それをうけて、今回は、別の視座からさらに追究を深めたい。前回も記したが、当時、オールナイト興行以外にも、全共闘運動が燃え盛ったキャンパスで〝まつろわぬ者たちのアジール〟が生まれ、そこでも「唐獅子牡丹」が大きな役割を演じていた。
その象徴的出来事が、1968年11月に東大教養学部で開催された駒場祭のポスターである。作者は、当時東大2年の橋本治(1948~2019)。東大のシンボル記章である銀杏(いちょう)の入れ墨をほった若者の背中が描かれ、そこに「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている 男東大、どこへ行く」のコピーが添えられていた。高倉健主演の「昭和残侠伝」の主題歌「唐獅子牡丹」を下敷きにしていることは明らかである。
ヤクザ映画は〝参加すること〟に意義がある?! その1
歌:高倉健「唐獅子牡丹」
作詞:水城一狼/矢野亮、作曲:水城一狼
時:1966年
場所:東京都浅草/同青梅市東青梅
「表の世界」の頂点に君臨する東大と、「裏の闇世界」のヤクザが掛け合わされるという、〝平時〟ならおよそ考えられない組み合わせだが、翌1969年1月の安田講堂攻防戦に向け東大構内の多くの学部で次々とストライキ決議が上がり、バリケードが築かれるという〝戦時下〟にあったからだろう、当時のマスコミはこの思いがけないネタにこぞって飛びついた。
ちなみに1968年11月22日付の朝日新聞では「背中で泣いてる校章? 駒場祭のポスター タッチはヤクザ映画風」の見出しを掲げて、次のように報じられた。
「二十二日から始まった東京大学教養学部の駒場祭で、ヤクザ映画の宣伝めいたポスターが、話題になっている。他大学の構内や駅にもはられたこのポスターをみて「ゆずってほしい」という要望が主催者のもとに殺到し、残部が一枚二百円でもうあらかた売切れてしまった」
しかし、このポスターはヤクザ映画を下敷きにした単なるパロディではない。当時のキャンパスの状況をふまえた橋本なりのひねりがきかされていた。
当の映画の主題歌では、映画バージョンでもレコードバージョンでも、
♪積もり重ねた不孝の数を/なんと詫びよかおふくろに
とある。つまり健さん演じる花田秀次郎から母親への「事後の詫び状」である。これに対して、橋本のポスターでは、母親が止めるのを振り切る「事前の決意表明」にシチュエーションが変えられている。
これは、往時の「キャラメルママ」―― 〝ゲバ学生〟になってしまった息子たちに、「そんなつもりで天下の最高学府に入れたわけではない、改心なさい!」と本郷の赤門前で白い割烹着姿でキャラメルを配る母親たちの動きへの揶揄であった。
さらに、コピーの中の「男東大、どこへ行く」のくだりについては、当時はジェンダー論が未熟だったからよかったが、現在なら「男尊主義」と指弾されただろうという指摘もある。だが、当の橋本は、そんなことはとっくに御見通しで、「東大は男の世界」であることを暗に皮肉ったのではないだろうか(ちなみに駒場の1学年の定員3400人のうち女子はいまだ100人を少し超えたにすぎなかった)。
なお、当時駒場の活動家のあいだでは、この「男東大、どこへ行く」をさらにパロって、「女革マル、どこへ行く」と彼らの東大闘争における「日和見」を揶揄したが、むしろこちらのほうが女性を「軟弱」の象徴と規定しているわけで、当時の左翼運動の「男尊主義」をはからずも露呈したようなものだった。