メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

無料

『トーキング・トゥ・ストレンジャーズ』で感じた他人を理解する難しさ

上質なミステリを読む快感

小林章夫 帝京大学教授

人間との付き合い方の幅広い考察

RazoomGame/Shutterstock.com拡大RazoomGame/Shutterstock.com

 第2部「デフォルトで信用する」のテーマは、「人は相手を信用するよう初期設定されているというトゥルース・デフォルト理論」を材料にして、「キューバの女王」と呼ばれたスパイの真実を明らかにしていく。

 この「キューバの女王」という第3章も大いに読ませるもので、少なくとも筆者のようなスパイ好きには見逃せないものだった。逆に第5章の「事例研究 シャワー室の少年」はなぜか不快な趣を感じさせるもので、事例のもたらす不快感もさることながら、妙に詳細な裁判の描写が気持ちのいいものではないからか。

 ほかにも紹介したいエピソードは多くあるが、何よりも新型コロナウイルスの蔓延によってさまざまな断絶、思い違い、あるいは思い込みが生まれた結果、見ず知らずの人間、あるいはよく知らない人間との付き合い方が大きな問題となっている状況を多彩なエピソードを通じて描き出していることに、さまざまな感慨を覚えたのである。

 その意味で著者の幅広い考察に教えられることは多々あるが、一つだけ首をひねったのは、第5部 「結びつき(カップリング)」の第10章、詩人シルビア・プラスを題材とした部分である。

 夫テッド・ヒューズに逃げられ、ロンドンのアパートに住み着いたプラスは、暗い環境の中で自らの命を絶つために用意周到な準備をおこない、オーヴンに頭を突っ込んで自殺を成し遂げる。その経緯を著者は詳細に跡づけるのだが、第1次世界大戦後イギリスの「石炭ガス」使用の経過を描きながら、あたかもこの二つの事柄が深い関係があるかのように示唆する。しかし、ここは不意に歴史的経緯に片寄せた考察と言ってよく、本書全体の考察とは妙にそぐわない部分と思えた。

 これに比べれば、第7章「アマンダ・ノックス事件についての単純で短い説明」は読ませる。イタリア・ペルージャで起きた殺人事件の犯人として冤罪を負うことになったアマンダ・ノックスというアメリカ人留学生をめぐる考察である。結論を述べれば、彼女が犯人とされたのは、その行動が「不可解で不合理」で、こうした場合、われわれはうまく対処できないというのだ。この結論に至る詳細は、第7章の短いが、はっとするような説得力ある考察をお読みいただきたい。筆者は本書の白眉はここにあると思った。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

小林章夫

小林章夫(こばやし・あきお) 帝京大学教授

専攻は英文学だが、活字中毒なので何でも読む。ポルノも強い、酒も強い、身体も強い。でも女性には弱い。ラグビー大好き、西武ライオンズ大好き、トンカツ大好き。でも梅干しはダメ、牛乳もダメ。著書に『コーヒー・ハウス』(講談社学術文庫)、『おどる民 だます国』(千倉書房)など、訳書に『ご遺体』(イーヴリン・ウォー、光文社古典新訳文庫)ほか多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです