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対米従属から抜け出す道はあるのか?~『戦後日本を問いなおす』(原彬久)

日本はどういう国として生きていくのか。問われているのは私たちの覚悟

三浦俊章 ジャーナリスト

 共和党のトランプ大統領が再選されるのか。民主党のバイデン氏がホワイトハウスを奪還するのか。11月3日投票のアメリカ大統領選を世界が注目しているが、どちらが当選しても、おそらく変わらないことがある。それはアメリカが圧倒的優位に立つ日米関係だ。日本が高度成長を経て経済大国になっても、戦後世界を長く規定していた冷戦が終わっても、なぜ日本はいつも米国の顔色をうかがって追随するのだろうか。その問いに、外交史の実証的研究を積み重ねてきた学者が、答えを試みた。

 この30年間余り、私は政治記者として日本の外交と日米関係を主にカバーしてきた。ワシントン特派員として、アメリカ側から取材したこともある。その長い経験を通じて、自分の中に澱(おり)のようにたまってきた疑問がある。なぜ両国の関係ではアメリカの意思がこれほど貫徹し、日本は従属的なのだろうか。

 経済問題が争点だと、かつての貿易摩擦に見られるように、日本の政治家や官僚はアメリカ側と厳しい交渉をすることもある。しかし、外交・軍事分野となると、反対を貫くことはまれだ。

住宅地の中にある米軍普天間飛行場、オスプレイが並ぶ=2020年10月14日、長沢幹城撮影)

アメリカの対日優位を示す山ほどの事例

 同じ同盟国でも、独仏はアメリカのイラク戦争に反対したが、日本はアメリカを支持して、米艦給油や復興支援で自衛隊を出した。このほかにも、アメリカの対日優位を示す事例は山ほどある。

 基地外に墜落したばかりの米軍ヘリの事故現場に、なぜ日本の警察は近づけないのか。なぜ首都東京上空の航空管制権を、横田基地を持つ米軍に広範囲に委ねて、日本の航空会社の飛行ルートが制限されるのか。なぜ日本の首相はワシントン詣でを繰り返し、日本の防衛体制や防衛費に構造的歪みをもたらしてまでアメリカの兵器システムを購入せねばならないのか……。

 10年以上前のことだが、対米外交に長く携わった日本の大物外交官にこの疑問をただしたことがある。非公式の酒席だったからかもしれないが、「日本は戦争でアメリカに負けたから仕方ないのですよ」という答えが返ってきたことが忘れられない。

 今年は戦後75年になるが、日本が戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印してちょうど75年になる9月に、国際政治学者の原彬久・東京国際大名誉教授が『戦後日本を問いなおす――日米非対称のダイナミズム』(ちくま新書)を出した。この本を手がかりに、「対米従属はなぜやめられないのか」(同書の「帯」から)を考えてみたい。

読み応えのある硬派の論考

『戦後日本を問いなおす――日米非対称のダイナミズム』(ちくま新書)

 『戦後日本を問いなおす』を書いた原彬久氏(81歳)は、生前の岸信介・元首相に長時間のインタビューを行うなど、地道な実証研究で知られる学者である。だから、今回の刺激的なタイトルの本は、著者をよく知る研究者たちを驚かした。

 戦後の日米関係をばっさり切る本は、これまでも多く出版されている。だが、気の利いた表現に頼って、思いつきだけで大風呂敷を広げたような雑なものも少なくない。原氏の本は、そういう類いとは一線を画す。日米の外交文書を調べ上げ、政治家や官僚のオーラルヒストリーを重ね、歴史の事実に向き合ってきた学者が、心の中に抱えてきた思いを吐き出した本である。

 六つある章のタイトルを並べてみると、「戦後日本の母型」「憲法9条と国際政治」「日米非対システムの内実」「冷戦が終わって」「安全保障政策と外交力」「政治的『自立』への道」といった具合で、300ページに満たない新書ながら、日米関係の全体像から今後の課題まで取りあげている。語り口こそ平易だが、読み応えのある硬派の論考と言える。

 その中から、特に重要と思われる部分を、私なりに咀嚼(そしゃく)して紹介したい。

原彬久さん=山本和生撮影

勝者と敗者がつくった「戦後日本の母型」

 著者がまず指摘するのは、アメリカと日本が戦勝国と敗戦国として、戦後の安全保障関係を作り上げたことだ。その出発点を、著者は「戦後日本の母型」と呼ぶ。そこには三つの基層がある。

 第一の基層は天皇制である。日本を単独占領したアメリカは、占領を効果的に進めるために天皇制を温存した。アメリカが天皇制を許容したことは、日本の保守層に感謝の念を生むとともに、アメリカに対する負い目をもたらした。

 第二の基層は、日本国憲法、特に9条である。米国の狙いは、日本がアメリカにとって脅威にならないように、侵略性を除去するとともに、アメリカと同質の民主主義に改造することにあった。

 第三の基層は、講和条約と同時に結ばれた日米安保条約(1960年に改定)だ。著者はその本質を「駐軍協定」とみる。日米安保は対等な相互防衛条約ではない。在日米軍は日本を守るだけでなく、極東の平和と安全に寄与するために日本国内の基地を使うことが許されている(いわゆる「極東条項」)。独立国が他国の軍隊の基地を自国内に認め、実質的にその自由な使用を認める世界でも稀有な条約になっている。

 以上、三つの基層に共通するのは、国益を徹底的に追求するアメリカの政治的リアリズムだ。こうした占領体制を色濃く残す「戦後日本の母型」の上に、日米非対称体制が築かれている。

 日米安保が「駐軍協定」の性格を持つことは、他の研究者も指摘しているが、天皇制と憲法も含めて「三つの基層」という枠組みでとらえ、そこに通底するものとしてアメリカの国益の論理を見るのは、国際政治学のリアリズムの古典(E.H.カーやモーゲンソー)を深く読み込んだ原氏ならではの鋭い着眼点である。

 著者の日米非対称システムの分析は、さらに一歩踏み込む。アメリカ優位の体制が続くのは、弱者である日本がそれを受け入れているからでもある。それは何か。

首脳会談で握手する首脳。アメリカのペースで進む日米関係=2019年9月25日、ニューヨークで岩下毅撮影
 著者が挙げるのは、占領期の首相吉田茂である。吉田は、占領軍に対峙するにあたって「敗けっ振りをよくする」ことを考えた。しかし、不平等の極みである「極東条項」を飲んだのは吉田の外交的失策ではないか。「敗けっ振り」をよくすることは、アメリカの目には日本人の「従順さ」「自立心の弱さ」と映り、日本の「対米追随」を定着させた、と原氏は見る。

 この脆弱性を、その後の保守政権の外交も、克服できなかった。安保を批判していた社会党も、同党が首班の村山富市政権で「安保堅持」に転じた。村山政権は1995年の沖縄少女暴行事件で地位協定への批判がかつてなく高まったときも、改定のチャンスを逃している。

 政党が保守であろうと革新であろうと、日本外交は非対称システムに屈し続けた。従属構造を変える道は、あるのだろうか。

現状に対する危機感の深さ

 では、日本はどうすればアメリカと対等になれるのか。同盟強化論者たちのひとつの見解は、日本が集団的自衛権を米領土でも行使できるようにして、真の相互防衛条約にすればよい、というものだ。だが、ことはそれほど簡単ではない。

 「アメリカの世界戦略における極東条項・地位協定の絶大な軍事的・政治的効用からすれば」、それらを手放すことはありえない、アメリカがこの権利を手放す時は、日本を見捨てるときだろう、と原氏はみる。アメリカの外交文書をつぶさに研究し、アメリカの官僚や軍人が日米安保をどう見てきたかを知り尽くした著者の発言は重い。

 日米の非対称性を改めるには、いったいどうすればいいのか。ここから、叙述のトーンはがらりと変わる。すくなくとも、私にはそう感じられた。

 日米非対称の構造を分析する著者の筆致は、シンプルに整理され分析は鋭利である。ところが、処方箋を論じる段になると、次から次へと課題や論点がわき出してくる。

 まずは、権力に弱い日本国民の心性、主張すべきことを主張しない欠点が指摘される。外交力の飛躍的な向上の必要性が説かれ、護憲・改憲の硬直した対立も克服せよ、という。強力な野党の必要性、民主主義の最後の砦としての文民統制、さらには靖国問題や歴史意識、と次々に課題が現れる。

 どれももっともな指摘だが、アメリカと対等になるためには、日本政治、日本社会への深い自省が必要ということなのだろうか。

 実証分析をやってきた学者がここまで話を広げるのは、著者の抱く現状への危機感だろう。その危機感の深さに圧倒される。

独立の気力なきものは……

 ここでは原氏の指摘のうち、特に共感した2点に触れて、この小論を閉じたい。

 原氏は本書で明治の思想家、福沢諭吉の『学問のすゝめ』から以下の部分を引いている。

 「独立の気力なき者は、必ず人に依頼す、人に依頼する者は、必ず人を恐る。人を恐るる者は、必ず人に諂(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諂う者は(中略)論ずべきを論ぜず、人をさえ見れば、ただ腰を屈するのみ」(第三編)

 これは外交の話だけでない。国内政治においても、私たちの社会生活や組織の中でも、そういう独立の気概があるのか、と問わねばならないだろう。活力なき社会で、外交ばかりが活力を持つことはありえないからだ。

沖縄県民大会で基地に反対する参加者たち= 2018年8月11日、小宮路勝撮影

日米の非対称性克服の道はマルチの構築しかない

 原氏の指摘で、もうひとつ、ひざを打ったのは、アジア太平洋における多国間相互依存ネットワークの構築の提言である(著者「あとがき」)。

 アジアには、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)のようなマルチの枠組みはない。基本は、アメリカを中心とする二国間の同盟関係からなるハブアンドスポークの安全保障体制だ。

 たしかに、欧州とアジアには国際環境と歴史の違いがあり、アジアで同様の枠組みを作るのは相当険しい道のりと言わざるを得ない。しかし、現在のアメリカ中心の体制が続く限り、アメリカの同盟国同士は横のつながりが弱い。欧州のように同盟国同士が団結してアメリカに向き合ったり、注文したりすることはない。

 それによってアメリカの優位は固定化し、またアメリカのコミットメントが崩れれば安全保障の枠組み全体が崩れる脆弱性がある。ハブアンドスポークに依拠する日米の非対称性を克服する道は、遠い目標であるが、やはりマルチの構築しかないだろう。

 著者が展開した日米非対称のダイナミズムを問いなおす作業は、今日深い意味を持つ。日本がどういう国として生きていくのか、と私たちの覚悟を問うているのだ。

 ずしりとした読後感が残った。

『戦後日本を問いなおす――日米非対称のダイナミズム』(ちくま新書、880円+税)

原彬久(はら・よしひさ)
1939年、北海道釧路市生まれ。東京国際大学名誉教授、法学博士。著書に『戦後日本と国際政治 安保改定の政治力学』(中央公論社、1988年)、『岸信介-権勢の政治家-』(岩波新書、1995年)、『吉田茂―尊皇の政治家―』(岩波新書、2005年)、『岸信介証言録』(毎日新聞社、2003年、中公文庫、2014年)など。『戦後政治の証言者たち』(岩波書店、2015年)で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。訳書にH.モーゲンソー『国際政治』(全3巻、監訳、岩波文庫、2013年)、E.H.カー『危機の二十年』(岩波文庫、2011年)などがある。