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『おらおらでひとりいぐも』――惚れた男が消えて、老いた女はどこへ行く

丹野未雪 編集者、ライター

 映画『おらおらでひとりいぐも』は、ひと言でいうなら「昭和」の住まいから始まる。茶の間の座卓にはテレビのリモコン、常滑焼の急須、手の届く場所には電気ポット、こまごまとした日用品が収納された引き出し。暮らしよくした部屋に一人、何をするでもなく座る老いた女は手編みのベストを着ている。

 その風景に亡くなった祖母を思い出し、年々白髪が増え小さくなる母を連想し、コロナ禍で一人部屋にいて独居老人の予行練習のようだとぼんやりする中年の自分が重なった。

 何をするでもない老いた女は、「どうせ昨日と同じ」とのしかかる「何か」を布団からずり落として起き上がり、目玉焼きを作る。ああ、私たちだ。

『おらおらでひとりいぐも』 11 月6日(金)公開 ©2020「おらおらでひとりいぐも」製作委員会 配給:アスミック・エース『おらおらでひとりいぐも』(沖田修一監督) 11月6日(金)公開 ©2020「おらおらでひとりいぐも」製作委員会 配給:アスミック・エース

 親同士が決めた見合いを断り、田舎を出奔した主人公・桃子さんが、夫を亡くした晩年、かつて捨てた故郷の言語=東北弁によって自らの「古層」を掘り、人生に出会い直していく物語だ。東京オリンピックが開催され、高度経済成長のもと、「新しい女、これからの女」を自負する桃子さんは、惚れた男と恋愛をして専業主婦となった。だが、果たしてそれは……。

決定的な印象を与える桃子さん=田中裕子の表情

 子どもたちは独り立ちし、専業主婦であることの意味が消え、夫が亡くなり、出かける先といえば病院と図書館で、友だちらしき友だちもいない。かかってくる電話はオレオレ詐欺だし、若いセールスマンには「お母さん」と呼ばれ、楽しみは気まぐれに訪ねてくる娘と孫娘ぐらい。認知症の気配もある。たった一人、部屋で過ごす桃子さんは、ばっちゃを思い出していう。「こういうふうになってしまった。これでいいのすか」。

 桃子さんは多くを語らない。私たちの祖母や母が、おいそれと心を打ち明けなかったように。桃子さんを演じる田中裕子の表情は、天気のようにさりげないが、しかし決定的な印象を与える。一見、無表情とみなされるだろう曇天のごとき表情からにじみ出る、感情の濃淡。陽が差したような微笑みの明度。身体の表情にも惹きつけられた。新婚時代とは別人のようにゴキブリを叩きのめす腰の入り方、疲労と歩幅、土俵入りのような湿布貼りの厳かさよ!

若竹千佐子若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社)
 対して同名の原作(若竹千佐子著)では桃子さんの人生が、内面が、東北弁によってうねるように語られる。幾人もの桃子さんが「古層」からやって来てはそれぞれ勝手に意見を連ねていく。ああすることもできた、仕方なかった、あっぱれだ、いやいやまだできる……方言がもつゆたかな変調とたたみかけるリズムはまるでジャズ・セッションだ。とりとめなく湧き上がる喜怒哀楽がつぎつぎと語られていくうち、ほんとうの思いのすがたを発見するよろこびは、原作でしか味わえない愉楽でもある。

 映画では桃子さんが「クソ周造なぜ死んだ」と夫をなじって歌う歌謡ショーの場面があるが、

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