プロデューサー・中島順三氏が語る制作秘話
2020年11月10日
4月からNHKで深夜に再放送されてきた『未来少年コナン デジタルリマスター版』が11月1日(24:45~)で最終回を迎えた。当日は「大阪都構想住民投票開票速報」の関係で放送時間が変更となり、録画が出来なかったという声がインターネット上で多数を占めた。これを受けて11月5日、NHKは急遽11月21日深夜(22日2:35〜)に再放送すると発表。異例のニュースとなり、改めて作品の影響の大きさを世間に知らしめた。
同作品は宮崎駿監督が初めて演出を手掛けた作品であり、NHKが初めて放送したテレビアニメーションシリーズである。コロナ禍の影響で本来放送されるはずの別番組の制作が中断したことで、言わば「穴埋め」として急遽再放送された。
また、関東ローカルではあるが高畑勲監督のテレビシリーズ『赤毛のアン HDリマスター版』がTOKYO MXで同時期に再放送され、こちらは10月26日(19:30〜)で放送を終えた。
『未来少年コナン』の初放送は1978年、『赤毛のアン』の初放送は翌1979年。制作スタジオはどちらも日本アニメーションであり、多くのスタッフが重複している。高畑監督は『コナン』に絵コンテ・演出で、宮崎監督は『アン』にレイアウトで参加し、互いの作品を支え合っていた。後のスタジオジブリ作品の源泉とも言うべき作品でもあり、制作から40年以上を経過してなお、色褪せることない魅力を放っている。
両作品を久しぶりに視聴した者は追体験と新発見に興奮し、初めて観た視聴者もその面白さや繊細さに魅了されている。SNSでは毎週話題として取り上げられ、Twitterは数千のツイートで賑わい、トレンドの上位にランクされていた。
既に何度もソフトが再販され、レンタルでも配信サイトでもいつでも全話視聴出来る環境にありながら、それでも毎週テレビで観るとやはり楽しい。名作の同時視聴は、映画館での鑑賞と同じように得難い共同体験なのだと改めて思う。
制作当時、宮崎駿監督・高畑勲監督とスタッフはどのような思いを込めて制作に携わっていたのか、今再び人気を得ていることをどう思うのか、両作品のプロデューサーを務めた中島順三氏に伺った。
『未来少年コナン』[初放送 1978年4月4日~10月31日(全26話)]
原作/アレグザンダー・ケイ「残された人々」
製作/日本アニメーション、本橋浩一
製作管理/高桑充
企画/佐藤昭司
脚本/中野顕彰、吉川惣司、胡桃哲
作画監督/大塚康生
美術監督/山本二三
仕上検査/保田道世
撮影監督/三沢勝治
録音監督/斯波重治
音楽/池辺晋一郎
主題歌「今、地球がめざめる」「幸せの予感」
作詞/片岡輝 作曲/池辺晋一郎 歌/鎌田直純・山路ゆう子
プロデューサー/中島順三・遠藤重夫
演出/宮崎駿
[声の出演]コナン/小原乃梨子 ラナ/信沢三恵子 ジムシィ/青木和代 おじい・パッチ・ラオ博士/山内雅人 モンスリー/吉田理保子 ダイス/永井一郎 レプカ/家弓家正ほか
NHKアニメワールド「未来少年コナン デジタルリマスター版」
日本アニメーション「未来少年コナン」公式サイト
中島順三(なかじま・じゅんぞう)
1938年、東京都生まれ。東映テレビのスチールカメラマンを経て、フジテレビ・エンタプライズで『海底少年マリン』(1969~1970年)の編集やCM制作などを担当。ズイヨー映像で『山ねずみロッキーチャック』(1973年)、『アルプスの少女ハイジ』(1974年)、日本アニメーションで『フランダースの犬』(1975年)、『母をたずねて三千里』(1976年)、『あらいぐまラスカル』(1977年)、『ペリーヌ物語』(1978年)、『未来少年コナン』(1978年)、『赤毛のアン』(1979年)、『小公女セーラ』(1985年)、『愛少女ポリアンナ物語』(1986年)、『愛の若草物語』(1987年)、『若草物語 ナンとジョー先生』(1993年)ほか多数の作品のプロデューサーを歴任。現在は公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員を務める。
――『未来少年コナン』放送の前年(1977年)、企画が始動した頃のお話から伺いたいのですが。
中島順三 NHKで初めてテレビアニメのシリーズを放送することが決定され、各制作会社に企画を出すようにと求められたのではなかったかと思います。私たち日本アニメーションが制作会社に選ばれまして、自分たちがこれまで制作してきた名作路線に近い企画を幾つか提案しました。
それはどちらかと言うと女の子向けの企画だったのですが、「小学5~6年生の男子を対象とした企画にして欲しい」と再考を促されました。企画の佐藤昭司が用意した原作の中にアレグザンダー・ケイの『残された人々』があり、NHK側がこれが良いと判断したと聞いています。
――宮崎駿監督が初めてテレビシリーズの演出を担当された経緯は?
中島 宮崎さんは『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』全話レイアウトの超人的な働きぶりで周囲を圧倒していましたし、男の子向けのアクションも描ける人ですから、皆が納得する演出就任でした。
宮崎さんは引き受けるにあたって「大塚康生さんを作画監督にしてくれるなら」という条件を挙げました。大塚さんをお招きするのは大変でした。大塚さんは宮崎さんの東映動画(現 東映アニメーション)時代の師にあたる先輩で、当時シンエイ動画(※)の役員を務めていたのです。もしかすると、宮崎さんと大塚さんの間では事前に色々と話し合われていたのかもしれません。
※「シンエイ動画」(旧名 Aプロダクション)は、高畑勲・宮崎駿両監督が1971~1973年に在籍していたスタジオ。『ドラえもん』(1979年〜)、『クレヨンしんちゃん』(1992年〜)などを制作。
しかし、会社を支える大ベテランの大塚さんをライバル社の新作のために貸して欲しいという無茶な要求ですから、
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