プロデューサー・中島順三氏が語る制作秘話
2020年11月12日
前回に引き続き『未来少年コナン』と『赤毛のアン』のプロデューサーである中島順三さんに制作時のお話を中心に伺った。
『赤毛のアン』[初放送 1979年1月7日~1979年12月30日(全50話)]
製作/本橋浩一
原作/ルーシー・モード・モンゴメリ
制作/日本アニメーション、フジテレビ、別所孝治
製作管理/高桑充
企画/佐藤昭司
脚本/高畑勲、神山征二郎、千葉茂樹、磯村愛子、高野丈邦、荒木芳久、白石なな子、神山魁三
場面設定・画面構成/宮崎駿(1~15話)
場面構成/櫻井美知代(18~50話)
キャラクターデザイン・作画監督/近藤喜文
美術監督/井岡雅宏
仕上検査/保田道世・小山明子
撮影監督/黒木敬七
音楽/毛利蔵人
主題歌「きこえるかしら」「さめない夢」
作詞/岸田衿子 作曲/三善晃 歌/大和田りつこ
録音監督/浦上靖夫
プロデューサー/中島順三、遠藤重夫
監督/高畑勲
[声の出演]アン/山田栄子 マリラ/北原文枝 マシュウ/槐柳二 ダイアナ/高島雅羅 レイチェル・リンド/麻生美代子 ナレーター/羽佐間道夫ほか第21回児童福祉文化賞受賞
TOKYO MX「赤毛のアン【HD】」
日本アニメーション「赤毛のアン」公式サイト
中島順三(なかじま・じゅんぞう)
1938年、東京都生まれ。東映テレビのスチールカメラマンを経て、フジテレビ・エンタプライズで『海底少年マリン』(1969~1970年)の編集やCM制作などを担当。ズイヨー映像で『山ねずみロッキーチャック』(1973年)、『アルプスの少女ハイジ』(1974年)、日本アニメーションで『フランダースの犬』(1975年)、『母をたずねて三千里』(1976年)、『あらいぐまラスカル』(1977年)、『ペリーヌ物語』(1978年)、『未来少年コナン』(1978年)、『赤毛のアン』(1979年)、『小公女セーラ』(1985年)、『愛少女ポリアンナ物語』(1986年)、『愛の若草物語』(1987年)、『若草物語 ナンとジョー先生』(1993年)ほか多数の作品のプロデューサーを歴任。現在は公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員を務める。
――『赤毛のアン』の準備には1978年夏頃、放送中の『未来少年コナン』と同時進行で入られたと聞いておりますが、その頃のお話を伺えますでしょうか。
中島順三 まずカナダへのロケハンに高畑勲さんと作画監督の近藤喜文さんと私、そして広告代理店の方の4人で行きました。レイアウトの宮崎駿さんは『コナン』を演出中、美術監督の井岡(雅宏)さんは『ペリーヌ物語』の担当で現場を離れられませんでした。
現地では、ミュージカルの『赤毛のアン』を観てそのスタッフと交流したり、「オーウェル・コーナー」(民俗資料を動態保存している歴史村)を取材したり、保存されているグリーン・ゲイブルズを撮影したりしました。現地のストーブがヤカンを丸ごと収納して煮炊き出来るようになっていて、そうした生活道具はとても参考になりました。
宮崎さんはロケハンには行けなかったのですが、素晴らしい美術の設定をたくさん描いてくれました。
ロケハンから帰国後、高畑さんは近藤さんとキャラクター作りに入ったのですが、原作のファンであった近藤さんの可愛らしいデザインが気に入らず、試作を重ねていました。
――当時は可愛らしい美少女が主人公の常であったため、アンの一見可愛らしくないキャラクターデザインは衝撃的でした。
中島 高畑さんの中では、
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