ホワイトハウスを去って3年10カ月。話題沸騰の著書のタイトルに込めた思いとは
2020年11月22日
初の黒人大統領として2期(2009~2017年)にわたってアメリカ合衆国を率いたバラク・オバマ氏の回顧録『約束の地(A Promised Land)』が11月17日に発売された。ちょうど大統領選でオバマ政権の副大統領を務めた民主党のバイデン氏がホワイトハウスを奪い返し、現職のトランプ大統領が敗北を認めないという前代未聞の混乱が続いているときだけに、回顧録への関心は高く、爆発的な売れ行きを見せている。日本ではもっぱら、今回の本の中で日本の政治家がどう言及されているかという些細なことに焦点が当たっているが、権力の中枢にあった大統領がこれほど華麗な文章と明晰な観察眼をもって、政治という現象を解き明かし、交渉した政治家の人物像を描いたことがあっただろうか。その一部を紹介するとともに、回顧録のタイトル「約束の地」に込められたオバマ氏のメッセージを読み解いてみよう。
オバマ氏は2017年1月に大統領職を去ってからすぐに回顧録の執筆にとりかかった。当初は1年を使って、500ページくらいの本を書き終えるつもりだった。しかし、書き始めるとどんどん膨らみ、結局に二分冊にすることになった。
今回の『約束の地』はその前半部分、上巻にあたる。2011年5月の米海軍特殊部隊によるオサマ・ビン・ラディン容疑者殺害までをカバーしているが、それでも700ページを超える。刊行も遅れて、ホワイトハウスを去ってから3年10カ月後になった。大統領選の年にぶつかったため、勝敗が判明した後に発売することになった。下巻がいつ刊行されるかは未定である。
確かに、いちいち注を参照していては、オバマ氏が重視しているストーリーの流れが中断される。そして実際、この回顧録は小説のように読めるのだ。
たとえば、オバマ氏が政権最大の功績と考えている医療保険制度改革を扱った第16章は次のように始まる。
「ホワイトハウスでの最初の春の訪れは早かった。3月中旬には空気は和み、日は長くなった。天候が暖かくなると、(ホワイトハウスの南側にある)サウス・ローンは、探索のできる私的な公園のようになった」
そのあとに大統領官邸の庭の自然を描写し、そこでの一家の暮らしぶりが紹介される。そして就任1年目の最大の喜びとして、4月中旬に家族に加わった愛犬ボーが登場する。このふさふさした黒い毛の犬(ポーチュギーズ・ウォーター・ドッグ)は、ジョン・F・ケネディ大統領の末弟で上院議員を長く務めたエドワード・ケネディ氏と夫人からの贈り物だった。
ケネディ上院議員はすでに不治の病(脳腫瘍)に冒されていて、この年の8月に亡くなる。そのケネディが最後まで願っていたのは、貧しい人でも安心して病院に行ける国民医療保険制度の導入だったとオバマは書いている。そこから自伝の筆は、アメリカにおける医療保険制度改革が挫折し続けた歩みを語り、本題に入っていくのだ。
このように具体的な細かい描写と大きな枠組みの話が巧みに絡まりあい、回顧録自体がすぐれたアメリカ現代史、アメリカ政治のテキストとなっている。
政治家の回顧録のひとつの妙味は、その政治家が他の政治家をどう見たのか。人物評のおもしろさであろう。オバマ回顧録も例外ではない。
好意的に描かれているのはイギリスのキャメロン首相(2010~16年)である。
オバマ氏が最初にあったころは「40代前半で、若々しく、形式にこだわらない振る舞いを見せたが、それはよく考え抜いたものだった(あらゆる国際会議でキャメロンが最初にしたことは、上着を脱いでネクタイを緩めることである)。名門イートン校卒のキャメロンは問題を驚くほど深く理解し、言葉を巧みに操った。人生で逆境など味わったことのない人間が持つ、ゆったりとした自信にあふれていた。意見が対立するときでさえ、私は彼には好意を持った」
英語でいう、いわゆる「ケミストリー」(相性)が良かったということだろう。
いっぽう、不信に満ちた厳しい評価を下しているのは、ロシアのプーチン大統領(2000~2008年、2012年~)である。
オバマ氏は、プーチン大統領のような人物には、どこかで出会ったような奇妙な感覚を覚えた。側近にロシアの大統領の印象を聞かれたとき、「監獄を支配するボスに似ている。ただし、核兵器と国連安保理の拒否権を持っている点では違うがね」と答えた。
この発言は笑いを誘ったが、オバマ氏は回顧録でこう続ける。
「私は冗談でそういったのではない。プーチンが私に想起させるのは、かつてシカゴやニューヨークの都市政治を牛耳った連中だ。タフで世知に長けて非情な連中である。彼らは自分の強みをよく知り、自分たちの狭い経験の外の世界には決して出ない。親分子分関係、賄賂、ゆすり、詐欺、そして時には暴力をふるうことも、商売の正当な手段だとみなしている。プーチンにとってもそうだが、彼らにとって人生はゼロサムゲームだ。自分たちの仲間でない人とも取引はするが、結局、信頼はしない。自分だけで自分のためだけに行動する。そういう彼らの世界では、ためらいがないことや、権力の増大以外に高尚な志を持ち合わせないことは、欠点ではない。むしろ長所なのだ」
外国の指導者に対してこれほど辛辣な言葉が書かれたことがあっただろうか。
日本については、2009年11月の訪日に触れる形で、ほぼ1ページを割いているが、その大半は、当時の天皇皇后両陛下に会って深く感銘した思い出を克明に綴っているものだ。当時の鳩山由紀夫首相については、10行にも満たない。
「私がアジアに旅してから20年以上が経っていた。7日間のアジア歴訪は東京から始まった。私は東京で日米同盟の将来についてスピーチし、鳩山由紀夫首相と会談して経済危機、北朝鮮、沖縄の海兵隊基地の移転計画について話し合った。鳩山は不器用だが好感の持てる人物(A pleasant if awkward fellow)だった。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください