三浦俊章(みうら・としあき) ジャーナリスト
元朝日新聞記者。ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長、編集委員などを歴任。2022年に退社
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ホワイトハウスを去って3年10カ月。話題沸騰の著書のタイトルに込めた思いとは
初の黒人大統領として2期(2009~2017年)にわたってアメリカ合衆国を率いたバラク・オバマ氏の回顧録『約束の地(A Promised Land)』が11月17日に発売された。ちょうど大統領選でオバマ政権の副大統領を務めた民主党のバイデン氏がホワイトハウスを奪い返し、現職のトランプ大統領が敗北を認めないという前代未聞の混乱が続いているときだけに、回顧録への関心は高く、爆発的な売れ行きを見せている。日本ではもっぱら、今回の本の中で日本の政治家がどう言及されているかという些細なことに焦点が当たっているが、権力の中枢にあった大統領がこれほど華麗な文章と明晰な観察眼をもって、政治という現象を解き明かし、交渉した政治家の人物像を描いたことがあっただろうか。その一部を紹介するとともに、回顧録のタイトル「約束の地」に込められたオバマ氏のメッセージを読み解いてみよう。
オバマ氏は2017年1月に大統領職を去ってからすぐに回顧録の執筆にとりかかった。当初は1年を使って、500ページくらいの本を書き終えるつもりだった。しかし、書き始めるとどんどん膨らみ、結局に二分冊にすることになった。
今回の『約束の地』はその前半部分、上巻にあたる。2011年5月の米海軍特殊部隊によるオサマ・ビン・ラディン容疑者殺害までをカバーしているが、それでも700ページを超える。刊行も遅れて、ホワイトハウスを去ってから3年10カ月後になった。大統領選の年にぶつかったため、勝敗が判明した後に発売することになった。下巻がいつ刊行されるかは未定である。
興味深いのは、アメリカの回顧録や歴史の本につきものの詳細な注が一切ないことだ。脚注もなければ、巻末注もない。オバマ氏は「私は脚注と巻末注は嫌いだ」とはっきり序文に書いている。
確かに、いちいち注を参照していては、オバマ氏が重視しているストーリーの流れが中断される。そして実際、この回顧録は小説のように読めるのだ。
たとえば、オバマ氏が政権最大の功績と考えている医療保険制度改革を扱った第16章は次のように始まる。
「ホワイトハウスでの最初の春の訪れは早かった。3月中旬には空気は和み、日は長くなった。天候が暖かくなると、(ホワイトハウスの南側にある)サウス・ローンは、探索のできる私的な公園のようになった」
そのあとに大統領官邸の庭の自然を描写し、そこでの一家の暮らしぶりが紹介される。そして就任1年目の最大の喜びとして、4月中旬に家族に加わった愛犬ボーが登場する。このふさふさした黒い毛の犬(ポーチュギーズ・ウォーター・ドッグ)は、ジョン・F・ケネディ大統領の末弟で上院議員を長く務めたエドワード・ケネディ氏と夫人からの贈り物だった。
ケネディ上院議員はすでに不治の病(脳腫瘍)に冒されていて、この年の8月に亡くなる。そのケネディが最後まで願っていたのは、貧しい人でも安心して病院に行ける国民医療保険制度の導入だったとオバマは書いている。そこから自伝の筆は、アメリカにおける医療保険制度改革が挫折し続けた歩みを語り、本題に入っていくのだ。
このように具体的な細かい描写と大きな枠組みの話が巧みに絡まりあい、回顧録自体がすぐれたアメリカ現代史、アメリカ政治のテキストとなっている。
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