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歌舞伎座のプリマ 坂東玉三郎、その孤高の美

戦後歌舞伎の黄金期の残照の中に生まれ、令和のいまへ芸をつなぐ

天野道映 演劇評論家

2020年、ひとり、歌舞伎座の舞台で

拡大シネマ歌舞伎『鷺娘』の坂東玉三郎=©福田尚武/松竹提供。2020年歌舞伎座「九月大歌舞伎」では、このシネマ歌舞伎の映像と、舞台での実演を融合させた
 2020年、歌舞伎座は8月から公演を再開。坂東玉三郎は翌月の「九月大歌舞伎」第四部に登場し、映像×舞踊特別公演と銘打ち、「口上」と「鷺娘(さぎむすめ)」を披露した。

 この玉三郎を見て、34年前の伝説的なパリ公演に改めて思いを馳せた。

 当時36歳の青年俳優といってもおかしくない年齢の人が、今年は古稀を迎え、歌舞伎座の立女形(たておやま)になっていた。桧舞台にひとり金屏風を背に座り、新しい第五期歌舞伎座(明治の第一期から数えて第五期)に客を迎える口上を述べる姿に、実意と暖か味が籠っている。

 34年前のパリでもこの人は同じように、聡明な人柄で舞台だけでなく、オフでも人を魅了したと伝えられている。

 1986年6月18日付け「ル・モンド」紙で、玉三郎にインタビューしたR・P・パランゴーは次のような論考を書いた。

 玉三郎は女装した性倒錯者的な男優ではないのか?─「はい。女装していますと、他の人にはないいろいろな可能性を表現するのに、自分の才能をもっともよく発揮することができます。わたくしは女役を演じるように育てられてきましたし、またこの役が自分の容姿や感受性の点でもぴったりなのです」(訳・白川宣力『歌舞伎海外公演の記録』松竹株式会社1992年)

 フランス人の鋭く無遠慮な質問をはぐらかすのではなく真正面から、多分美しい微笑を添えて答える姿が、目に浮かぶようである。

 ここには芸術家とその才能の関係が率直に語られている。才能とは自分の意思とは無関係に、よそからやってきたもので、芸術家とはそれを見出す者である。

 玉三郎は歌舞伎役者の家に生まれた人ではなく、幼い頃から踊りが好きだったので、その才能を生かすべく歌舞伎女形の道を選び取った。この姿勢を真っ直ぐに貫いてきた。

 それはまた自分を客観的に捉える能力を語っている。

 舞台に立って何かを演じる時、そのことにだけ没頭するのではなく、演じる自分の姿を離れたところから客観的に見つめるもう一つの目が必要である。

 玉三郎の回答には、世阿弥が説いた「離見の見」の思想が揺曳している。同時にそれは他者の才能を認める立場に他ならならず、画一性とは正反対の思想である。


筆者

天野道映

天野道映(あまの・みちえ) 演劇評論家

1936年生まれ。元朝日新聞記者。古典芸能から現代演劇、宝塚歌劇まで幅広く評論。主な著書に『舞台はイメージのすみか』『宝塚のルール』『宝塚の快楽―名作への誘い』『男役の行方: 正塚晴彦の全作品』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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