2020年11月30日
終わりよければすべてよし。
とは朝ドラ『エール』のためにあるような言葉であった。
『エール』の最終回と、そのひとつ前の回、ご覧になりました? この2回で、数々の「エールに対するいちゃもん」は「もういい、水に流そう」という気持ちになった。
終わり方、終わらせ方ひとつで、失敗局面も大逆転できる、そのことがよくわかりました、『エール』のラストを見ていて。
私は『エール』の良い視聴者ではない。なので大量のいちゃもんを抱えていたのです。
『エール』がダメな朝ドラだというわけではない。ときどき朝ドラに現れる「作品の体をなしていない脚本や演出」(例:『半分、青い。』とか『ウェルかめ』とか……)みたいなことはなく、金も才能も工夫もちゃんと注ぎ込まれた朝ドラであったとは思う。
でも私はハマれなかった。朝ドラでは珍しい男性主人公モノだが、あの古関裕而をモデルにした古山裕一というキャラがなんか中途半端で、あんまり音楽家っぽく感じられなかったんですよね。「音楽の神様に選ばれた人」感が足りなかったというか。といって「片思いでもいい! 音楽に恋し続ける!」というストーリーでもなかったよなあ。「音楽が好きで好きでたまらない」のと「音楽が湧いて湧いてたまらない」のが、その時々で都合よく出てくるなあと感じてしまった。どうもそのへんがはんぱな感じで。まあ、それは私がそう感じてしまったというだけのことで、ドラマ全体を壊すまでのことではなかったと思うが。
そんな私には、一貫して堂々としていた二階堂ふみ演じる妻の音が主人公に見えてしまい、しかしあの役のキャラがあんまり好きじゃない(同じクラスにいたら仲良くなれない。私が彼女の陰口を言ってる場面が思い浮かぶ)という個人的な理由により、見たり見なかったりしているうちに話がわからなくなってしまった。
それで見るのをやめてたのだが、ドラマは第二次大戦に突入して、その描き方がすごい、と騒がれていたのでふたたび見てみたところ、裕一がインパールに行って、その腕の中でかつての、音楽への夢を後押ししてくれた恩師が戦死するという場面を見てしまい、「いや〜、いくらお涙頂戴だっていってもコレはねえだろう……」と気持ちが引いてしまい(これが史実だとしたらすごい話だが、やはりこの部分はフィクションだったようで、あらためて「ないわ〜」となった)、ふたたび挫折。
それでも朝、7時のニュースが終わると始まるので飛び飛びに見ていた程度なのです。良い視聴者ではありえないのです。
そんな『エール』もついに終わる。あまり感慨もなく、惰性のままに最終週を見ていた。そうしたら、「すべてを水に流す」ほどの見事な終わり方を見てしまった。
終わり方ってほんとに難しいんですよ。ことに長丁場の連続ドラマの終わり方。ストーリーのたたみ方。形のつけ方。演出としてどういう場面をつくるか。終わり方のセオリーなんていうものは、テレビドラマの歴史の中でちゃんとあるんだろうけれども、なかなか「これだー!」という爽快感や満足感の得られる、すべてを納得できるようなラストは少ない。
最近、私がハマってた朝ドラというと『まんぷく』ですが、ラストは
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