連載 社会制度としての仏教を考える
死んだ人につける名前?
死んだ人につけられる名前、戒名。
仏教でお葬式をあげた死者のほとんどにつけられているのだが、その宗教的な意味を知る人はあまり多くないだろう。何だかよくわからないけど、人が死んだらつける名前、といった程度の認識だ。
そして世間では戒名に対して、どうもいい印象がない。
お寺に戒名をつけてもらったら高額の戒名料を請求されたとか、いい戒名をつけてもらったらその後のお布施も高額になってしまったなどの噂を、一度くらいは聞いたことがあるだろう。噂の真偽はわからないが、多くの人が違和感を覚えているのは確かだ。
そうしたことから、自分が死んでも戒名はいらない、と考える人もいる。
有名人では、吉田茂首相の側近もつとめた実業家の白洲次郎が「葬式無用 戒名不用」と遺言に記したところ、妻の白洲正子がその遺志を汲んで、葬式を行わず、戒名をつけることもなかった。

「葬式無用 戒名不用」と書かれた白洲次郎の遺言書=東京都町田市の旧白洲邸、2018年撮影
また、戒名は僧侶につけてもらうことはせず、自分でつけるという人もいるようだ。
こちらも有名人では落語家の立川談志が、生前自分で「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわ・うんこくさい・いえもと・かってこじ)」という戒名をつけたという。談志は、落語家らしく戒名でもユーモアをきかせたのだが、この戒名が災いして、遺族がお墓を買おうとしたところお寺に断られてしまい、納骨まで1年以上かかったそうだ。
もちろん、どちらも僧侶から見たら、とんでもない話である。本来の戒名の意味をわかっていないと言いたくなるだろう。
人々は、戒名のことはよくわからないけど違和感を覚えている。僧侶は人々の不理解を嘆いている。両者の間には、モヤモヤとした不信感が漂っている。
それでも人が死んだら、戒名がつけられ、弔われる。どことなく納得できない違和感を抱えたまま、葬儀は行われている。