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「エール」の主役は、歌の力。それがわかっているドラマだった

矢部万紀子 コラムニスト

 11月22日、朝日新聞の歌壇に、こんな短歌が掲載されていた。

 百歳の母の部屋から聞こえ来る小さな声の「長崎の鐘」(高松市・島田章平)

 ああ、このお母さん、朝ドラ「エール」を見ていたのだな、だから久しぶりに「長崎の鐘」を口ずさんだのだな。そう思った。

 翌23日から最終週というタイミングで掲載された短歌を読み、「エール」の主役は歌だったなーと改めて思った。島田さんのお母さんのような人が、きっと日本中にたくさんいたはずだ。ドラマを見て歌を聞き、当時を思い出す。そこから今日までをしばし振り返り、気づけば口ずさむ。

 歌とはそういうものだし、古関裕而という偉大な作曲家をモデルにドラマを作れば、「歌」の力が際立って当然かもしれない。だけど、制作者からすればそれはどうだったのだろう。結局、歌が勝ちでした、でよいのかなあ。

 そんなことを思いながら見続けていたら、最終回はNHKホールからの「出演者による古関さんの名曲メドレー」だった。「モスラ」まで彼の作曲だったとは。そして思った。ドラマを作っていた人たちも、「歌には勝てない」とわかっていたのかもしれないなー、と。

 最後は奇しくも「長崎の鐘」。歌ったのは主人公・古山裕一(窪田正孝)の妻・音(二階堂ふみ)。二階堂はこの勢いで、紅白歌合戦の司会へ。朝ドラ発紅白行き。今では当たり前のNHK内のリレー。それも含めて、「織り込み済み」なのかな、と。

「エール」の最終回は出演者によるコンサート。主人公・古山裕一役の窪田正孝と妻・音役の二階堂ふみ=NHK「エール」の公式サイトよりNHK連続テレビ小説「エール」の最終回は出演者によるコンサート。「長崎の鐘」を歌う二階堂ふみ(古山裕一の妻・音)と、窪田正孝(古山裕一)=NHK「エール」の公式サイトより

9月に再開してからの良いリズム

 異例尽くしの朝ドラだった。本来なら東京五輪が放送の途中で始まり、64年大会の入場行進曲をつくった古関と重なるはずだった。が、コロナで御破算。それどころか6月に放送が止まり、3ヶ月近い「再放送」を経て9月に再開、トータル5ヶ月余と短縮放送になった。

 しかもコロナ以前の2019年11月、書き始めたはずのベテラン脚本家が降板するという発表があった。「制作上の都合」で番組スタッフを含む3人で執筆するとのことだったが、素人ながら大変そうで、これが波乱の出発点だったとさえ思う。

 前半の終了直後、「『エール』が心の穴を埋めてくれなかった」と論座に書いた。

 言及しなかったが、脚本家のゴタゴタが影響してそうだと思ったりもしていた。だけど、何ということでしょう、9月に再開した「エール」、調子が良くなっていた。

 再開第1週の「弟子がやって来た!」が、好きなタイプだった。詳しくは拙著『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』を読んでいただくとして、簡単にまとめるなら「主人公が何者かになろうとしている」朝ドラが大好きなのだ。

 そもそも裕一と音を演じる窪田と二階堂は、幅広い役を演じる実力派だ。なのに、前半はどうもギクシャクしていた。だが再開してからの二人には良いリズムができていて、ドラマの空気も弾むように変わっていた。そう、歌もドラマもリズム感は大切だ。

 弟子役の岡部大と、音の妹役の森七菜の恋愛がとてもよかった。二人の「何者かになりたい」感がうれしかった。お笑い芸人の岡部は、無名の9番打者と思っていたら案外打つじゃん的な良さ。森はこの秋から民放では主役を務めているが、それにふさわしく3球3振の投球だよ的な芝居。二人の懸命さに、何度かウルっとさせられた。

古山裕一(窪田正孝)=NHK「エール」の公式サイトより森七菜(音の妹・梅)と岡部大(弟子・田ノ上五郎)=NHK「エール」の公式サイトより

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