昆虫に寄せる思いと、自然観・生命観
これも「虫の知らせ」なのだろうか? このところ出版社のPR誌に虫がらみの連載がいくつもある。『波』(新潮社)の小松貴「にっぽん怪虫記」、『ちくま』(筑摩書房)の今福龍太「ぼくの昆虫学の先生たちへ」、『青春と読書』(集英社)の福岡伸一「原点に還る旅・原点から孵る旅」などだ。11月号で紙版の最終号となった『本の窓』(小学館)に2019年6月号まで連載されていた奥本大三郎「蝶の唆(おし)え」は、今年の4月に単行本化されている。
それぞれ視点やアプローチは違うものの、少年時からの昆虫に寄せる並々ならぬ思いとともに、いまなぜ虫なのかという東日本大震災以降の自然観や生命観が伝わってくる。それはまた、コロナ禍をも照射する。
小松貴「にっぽん怪虫記」は、11月号の第11回は偶然なのか、それとも虫マニアの対抗心からなのか、テーマはガロアムシ。「人の都合とガロアムシ」と題して、毎回絶滅が危惧されている希少昆虫の生態をユーモラスに紹介してきている著者ならではの蘊蓄を披露している。

2015年7月、栃木県中禅寺湖南岸で見つかったガロアムシ=村木朝陽さん撮影
ガロアムシは、原始的な昆虫類で、ジュラ紀の地層から今と大差ない姿の化石が出ているという。現存種が見つかったのは、1914年に北米カナディアンロッキーで、その姿がコオロギとゴキブリっぽかったことから、ラテン語で「コオロギゴキブリ」を意味する学名がつけられたのだそうだ。
その珍奇な虫の日本での発見者であるガロアは、筋金入りの虫マニアで、日本滞在中にあちこちで昆虫採集をして、ガロアノミゾウムシやガロアケシカミキリなど、彼の残した標本から新種記載された昆虫の数が非常に多いという。
小松は、ガロアムシの飼育体験や生態や分布を紹介しながら、化石で出土する太古のガロアムシには立派な翅をもつ種がいたとし、その翅を広げて空を雄飛する姿を想像する。そして、「我々人類というのは本当に今この時点でのこと、そしてたまたま化石として出てきた“過去の履歴のうちほんの一瞬の断片”しか知りえない、取るに足らない存在なのだと気づく」と言い、ガロアムシの口を借りて「俺らが見てきた地球史のうちの1ミリほども垣間見ていない人間風情が、万物の霊長を名乗るなど聞いて呆れる」と言わしめる。