駒井 稔(こまい・みのる) 編集者
1979年、光文社入社。1981年、「週刊宝石」創刊に参加。1997年に翻訳編集部に異動になり、書籍編集に携わる。2004年に編集長。2年の準備期間を経て2006年9月に古典新訳文庫を創刊。「いま、息をしている言葉で」をキャッチフレーズに古典の新訳を刊行開始。10年にわたり編集長を務めた。筋金入りの酔っ払いだったが、只今禁酒中。1956年、横浜生まれ。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
台湾への認識を劇的に変えた『Au オードリー・タン――天才IT相7つの顔』
2019年末に台湾旅行に行きました。4年前にも訪れていたのですが、その時の印象とはずいぶん違っていました。うまく言えないのですが、「日本は台湾に抜かれたのではないか」という印象を抱いて帰国しました。しかし、その印象を論理的に語ることができないもどかしさも感じていました。しばらくして、友人にそう告げると、カンニング竹山が同じことを言っていたと知らされて、AERA dot.に掲載された記事を検索して読んでみました。「カンニング竹山『台湾で衝撃! 日本はすでに遅れた国になり始めている』」と題された記事です。
ここで彼が言っていることは、デジタルで日本はすでに遅れを取っているのではないか。かつてGDP世界第2位だった日本というイメージにいまだ捉われている人が多いけれども、もうすでに日本の凋落は始まっているのではないか、ということです。
私が初めて台湾を訪れたのは、1983年の冬でした。夏休みの旅行で韓国のソウルを訪れ、その発展ぶりに衝撃を受け、次は台湾に行ってみようと思ったのです。ちょうどその頃、日本の若い人々に「アジア再発見」がブームになり始めていました。第二次世界大戦後、欧米一辺倒だった日本が、初めてアジア諸国の現在に目を向けることになった時期だったのです。
その時の台湾の印象は、一言でいえば懐かしいという感じ。韓国で経験した日本人であるというだけで、刺すような視線にさらされることもない、のんびりとした食べ物の美味しい土地だということでした。
その後も何回か台湾を訪れていますが、2008年に台湾新幹線に乗った時には、駅舎が極めて近代的なことと、台北から高雄までの快適な汽車旅に驚きました。ずいぶん急速に発展しているなあ、いや、日本に追いつきつつある、というのがその時の印象でした。香港、シンガポール、韓国、台湾が新興工業経済地域(NIES)として、1980年代から急速な発展をしていることは、広く報道されていましたが、その実態を見たというよりも、さらに先に進みつつある姿は、明るいイメージとして脳裏に残っています。
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