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歳末ドラマ撮影開始、そこに事件が

1982年『つか版・忠臣蔵』てんまつ記⑦

長谷川康夫 演出家・脚本家

 「打倒!紅白」を合言葉にした1982年テレビ東京の大晦日ドラマ『つか版・忠臣蔵』をめぐる物語。いよいよ「討ち入り」、ならぬ「収録」の日を迎えた。だが、その朝、思わぬ事態が――。

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165分枠、たった3日で撮影

拡大『つか版・忠臣蔵』の台本。表紙に撮影日程が記されている
 ドラマ『つか版・忠臣蔵』の本番収録は11月21日から3日間、当時東京タワー脇にあった、テレビ東京2階のメインスタジオ二つを丸々使用して行われた。

 こう書いていて、今さらながら驚くのは、この2時間45分枠のドラマをオールスタジオ収録とはいえ、なんと3日で撮り切ったことだ。普通ならどんなに少なくとも、その3倍の日数は必要だったはずで、常識はずれのスケジュールといっていい。

 それを可能にしたのは、やはり10日に及ぶ舞台公演さながらのリハーサルだったろう。その終了段階で芝居は完成しており、本番での役者のNGはまずなかったし、撮影側の段取りも充分に練られていたということなのだ。つか芝居の“ライブ”感覚を大事にするため、映像的なディテールにはあえてこだわらず、全編ほぼ一発OKで進めることも、宮川鑛一と不破敏之、二人のディレクターの了解事項だったという。

 こうして始まる撮影に、つかこうへいはこれが『劇団つかこうへい事務所』としての、いや、何より自らの演劇活動におけるラストステージであることを意識したのだろう、過去の公演で僅かながら舞台に立った何人かの俳優や、お得意の“素人枠”で出演させた者たちにも声をかけ、参加させた。

 3月の『寝盗られ宗介』で全ステージ皆勤した「オール読物」副編集長の藤野健一は、討ち入りに向かう四十七士に吉良邸前ではなむけの言葉を送る町内会長で登場したし、本作でディレクターを務めた不破までも、若き日の宝井其角の友人として、志乃への思いを咎める武士をアマチュア丸出しの演技で披露している。

 他にも、『つか事務所』の公演の度に受付や楽屋周りの手伝いをしてきた学生たちも、扮装をして四十七士の中に混じることになった。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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