ネットに夢を抱いた哲学者が立ち上げた「ゲンロン」の戦績と失敗の遍歴と重ね合わせて
2020年12月13日
《難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見た時代の寵児は、2010年、新たな知的空間の構築を目指して「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開く。ゲンロンカフェ開業、思想誌『ゲンロン』刊行、動画配信プラットフォーム開設……いっけん華々しい戦績の裏にあったのは、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった。10年の遍歴をへて哲学者が到達した「生き延び」の論理》
5回にわたるインタビューを読み返し、そして構成するなかで、私もまた2010年代にインターネットメディアに夢を抱き、あるときから別の戦い方を模索するようになったことを思い出していた。
毎日新聞で10年ほど記者として経験を積み、2016年に新興のインターネットメディア「BuzzFeed Japan」(以下、バズフィード)に移籍したばかりの私は、新聞ではできない新しいメディアを作り上げるのだと息巻いていた。
20代でインターネットの可能性に惹かれた。SNSも業界や社内ではかなり早い時期から使っていた。記事を書いて終わりではなく、書いた後の拡散や双方向でのやり取りから続報を続けることにもこだわっていた。
こだわりといえば、今から10数年前に「エビデンスに基づくニュース」が必要だと方々で語り、データや科学的な根拠にベースにしたコメントを取り入れた報道にも力を入れていた時期がある。
とにかく科学的に正しいものを報じ、正しくないものはたとえ社内の同僚であっても批判的な態度をとっていた。エビデンスに基づくファクトでもって問題のありかを知り、識者と連携し、合理的な解決策まで提示できれば、社会は動くと無邪気に信じていたのだ。
もちろん、エビデンスは必要だし、双方向性や専門家との連携も必要だ。そこは変わらないし、今でも実践しているのだが、当時の私の問題は、私自身の人間観や社会観にある。私は、本来とても複雑なものを、もっと単純なものだと考えていたのだ。本当に浅はかだ。
SNSによる双方向性も、エビデンスに基づく姿勢も今となっては当たり前で、さしたる価値もない。だが、当時の私は、自分が新しい時代を走っていると浮かれていた。
新聞は紙面に限りがあるが、インターネットにはない。字数にこだわることなく書けて、かつ写真も動画も組み込めて、ニュースの可能性はさらに広がる。そうした思いを共有している人がいるはずだ、と思い込んでいた。
移籍したバズフィードはアメリカの本社と日本のヤフーとの合弁会社で、無料で記事を提供することを是としていた。無料で、誰にも開かれていて、良質なニュースを伝えられるというインターネットの夢があった。そして、私もそこに可能性を感じていた。
完全にバカである、と今なら思う。
インターネットメディア業界は、夢を見てやってくる人たちばかりが集まるところではない。
前の会社で評価されなかったルサンチマンを抱く人たち、自分を認めてほしいと承認を欲する人たち、前の組織で抱いた鬱憤を晴らそうと意気込む人たち、単に「新しい」という肩書きを欲する人たち、有利なポジションを求める人たち、キラキラしているように見える会社に所属しているのが好きな人たち……。
世の中には新しいものを作る以上に、言論やニュースの世界であっても、「イケてると思われる」「ちやほやされたい」「自分がスターになりたい」ということにモチベーションを見出す人たちが意外なほど多い。
新しいと私が思っていたインターネットの世界は、新聞社以上に旧態依然としたメディアの世界だった。
無料であるがゆえに、スケールの競争、言い換えれば「バズる競争」にも巻き込まれた。スケールの競争で勝つ方法は明確だ。常にニュースに目を配り、第一にタイミング良く、第二により強いスタンスを打ち出し、第三に計算した見出しをつければいい。
ここでいう「強い」というのは、昔のライターたちが憧れ、いま私が目指しているような時代を超えた原稿の強さではなく、「その場」で人々の感情を刺激する強さのことである。
何にも増して一番強いのはー仲間内の論理であってもー「正しい」ことである。科学的に、主張的に、あるいは政治的なスタンスとして常に正しく強くある必要がある。「そうだ、そうだ」と思わせ、感情を刺激することが、インターネットの拡散には求められる。
これは局地的には正しい。ビジネスとしても拡散は強みだ。しかし、もっと広い視野でみるとどうか。それは、「今、ここ」という瞬間的なタイミングで、瞬間的に人々がつながる「正論」を打ち出し、瞬間的に溜飲を下げさせるものに過ぎず、長期的にはマイナスが大きいと私は思っていた。
もう少し付け加えれば、視野が狭く、取材が浅くても正論が書かれていれば「良いもの」として需要されることにはデメリットもあるということだ。
今の時代、とりわけ問題視されている政治的分極化は、世界中のインターネットも含めたメディアにその責任の一端がある。私はインターネットの持つ危うさとは別のものを模索しようと思ったが、それはできなかった。
時間に耐えうる強さを目指す原稿は、往々にして瞬間的な強い主張はない。Zoomで識者にインタビューをすれば出来上がるようなものではなく、もっと地道な取材と、それを基軸にして文章が求められるからだ。瞬間的には数字にならない弱いものと同義であり、稼げない文章としてカウントされていく。
私は結果的にフリーランスになり、ありがたいことに会社員時代以上に忙しく、対価をそれなりにもらえるようになったからよくわかる。
プラットフォーム経由で、インターネットにたまに数百万PV、だいたい数万から数十万万PVの記事を月に何本か書いたところで、原稿料ベースでの収益はたかが知れている。メディアを立ち上げて、賢く広告を入れれば、収入は成り立つと思うが、それとて決して持続可能なモデルではない。
適当なオピニオンを書き散らかして、瞬間的に稼ぐことは容易にできるが、そこから時代を超えるような何かが出てくる可能性はほぼないのだ。
今のインターネット的な強さを維持するためには、ポジションをはっきりさせ、何らかの正しさを持ち続けたほうがいいのだが、私にはその手法と競争はきつかった。だから、独立した。
より正確に記せば、バズフィードを辞める前後は、あまりにも多くのことがありすぎて、精神的にも肉体的にもきつく、すべてに心が折れかかっていた。あまり物事を深く考える余裕もなかったし、これからのビジョンも一切もてなかった。
今だから思う。結局のところ、私の思想と行動はネットでバズる競争に勝てない敗者のそれであり、その現実を認めることが辛かったのだ。
そのステージでの競争を降りて、別の戦い方に舵を切った。狭い業界に理解者がいないことを嘆くのではなく、自分は自分で、地道に書いていけばいいと割り切ることにした。
幸いにして、私はこれまでいくつか書いてきたニューズウィーク日本版や月刊「文藝春秋」のレポートのように、幅広く取材して一つのストーリーの中に落とし込む原稿を書く場も機会も与えられている。私がインターネットに感じていた可能性は、雑誌にその世界を移して形になりつつある。
書いたレポートがベースとなり『ルポ百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)という本に結実した。そして2020年の最後に、『ゲンロン戦記』という大切な一冊に関わることができた。
この本の構成を終えて、東さんが丁寧に加筆した文章を読み、あらためて考えた。
私はインターネットメディア業界の競争に負けて良かった。大きな企業やベンチャーという肩書きをすべて外し、個人の名前になったとき、私には自分でも気づいていなかった仕事をできる可能性が広がった。
この本の言葉で言えば、私は私のための「観客」を作る一歩を踏み出したということだろう。
本書は私がある意味で自分のためにインタビューで質問し、自分のために構成したような項目がいくつかある。それはかつての自分と同じように、ある組織の中で悩み、オルタナティブにもなりきれない自身のふがいなさに葛藤し、もがいている人がいるのではないかと思ったからだ。
この本には、そんな人たちのための希望となる何かが詰まっている。それがどこかは人によって違うだろうけど、たぶん、どこかにある。
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