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二役騒ぎで『劇団つかこうへい事務所』幕を降ろす

1982年『つか版・忠臣蔵』てんまつ記⑧

長谷川康夫 演出家・脚本家

 1982年11月21日、テレビ東京のドラマ『つか版・忠臣蔵』の撮影が始まった。十分なリハーサルを経て、あとは撮るだけ……のはずだった。だが、その朝、スター俳優、沖雅也が体調不良で出演できないと連絡が入った。ドラマてんまつ記、いよいよ大詰めです。

 これまでは、

沖雅也の代役に選ばれた男

拡大つかこうへい=1982年撮影
 このとき、つかが『つか版・忠臣蔵』の収録現場に来ていたかどうか、僕の記憶は定かではない。ただすぐに代役を立て、撮影を続行することが決まったのが、彼の指示によるものだったことは間違いない。もしかしたら、つかは連絡を受け、急遽テレビ東京に駆けつけたのではなかったか。

 こういったアクシデントに直面した時、逆に高揚し、驚くほどの開き直りと、はったりじみた打開策をみせてくれるのが、つかこうへいである。

 しかしその代役を誰にするのか――。

 すぐに新しい俳優を呼べるはずもなく、どう考えても、今いる出演者の中から選ぶしかない。

 さいわい、つか流の“口立て”でのリハーサルによって、僕ら劇団員たちなら皆(まぁ酒井敏也や高野嗣郎は別として)、沖雅也が演じる近松門左衛門の台詞はほぼ入っている。近松との芝居場がいくつもある宝井其角の風間杜夫は不可能としても、つかの中では、誰かが二役を演じれば何とかなるという思いがあったのだと思う。

 とは言っても、大石内蔵助の平田満も、吉良上野介の石丸謙二郎も、その役回りからして、別場面で近松として登場するには無理がある。大高源吾の僕に至っては、前述したように、もともと二役であり、そうしないためにかなり強引な設定を持ち込んだということもある。

拡大萩原流行=1985年撮影
 そんな中で柳沢吉保の萩原流行なら、僕らと比べれば出番も少なく、相手役はすべて多門伝八郎だけだ。物語上も近松との関わりは全くない。

 必然的に沖の代役は、萩原が吉保との二役で務めることになった。

 撮影は多少の遅れが生じただけで、何事もなかったように再開され、当初のスケジュール通り、3日ですべて終了した。

 しかし沖雅也の不在が、ドラマ作品としての『つか版・忠臣蔵』の出来ばえに大きく影響してしまったことは否めない。それに関しては後述する。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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