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宅八郎さんの死去・トランプの敗北・ポストモダニズムの終焉

「真実は存在せず、すべてが許される」時代をどう生きる

香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授

 宅八郎さんが亡くなった、というニュースがネットを駆け巡った。享年・57歳。

 「まだ若いのに」と言われる年齢だが、私は「そうか、彼ももうそんな年齢になっていたのか」と思った。

 実は、私は彼を「宅八郎さん」とか、彼と直接の知り合いだった人がそう言っていたように「宅ちゃん」とかではなく、本名の「矢野くん」と呼ぶことが多かった。彼も私の本名で呼んでいた記憶がある。私たちはそれぞれがペンネームというか芸名というか、そういうものを持つ前からの知り合いだったのだ。

 自分の昔ばなしで申し訳ないが、私は国立大学受験に失敗し、滑り込んだ私立医大になかなかなじむことができず、松岡正剛氏が率いていた出版社・工作舎やそこから分派した人たちの編集プロダクションなどに入り浸っていた。1980年代に入る頃のことだ。そこで何をするでもなく、そのへんにある本を読んだりヒマそうな人としゃべったりしていただけだったが、そのうちコピーを取ったり原稿を整理したりと雑誌編集のまね事もするようになった。

 その“立ち寄り先”のひとつが山崎春美氏が編集長を務めていた雑誌『HEAVEN』の渋谷の制作現場で、そこで「原稿が足りないから何か書いてみて」と言われて短いものを書いて出したら、できた雑誌での執筆者名が「香山リカ」となっていた。山崎編集長に「これは?」と尋ねると「あ、名前、なんでもよかったやろ?」と返ってきて、私は「まあ」と答えた。香山リカ誕生の瞬間、である。

 『HEAVEN』はひとことで言えば“なんでもあり”の雑誌で、いわゆるエログラビアやマンガもあれば、イギリスやドイツなどのマイナーな音楽の評論、幻想小説、哲学的なエッセイなどがごた混ぜになっていた。私は医学生ということで、実在しないドラッグの話をまことしやかに書いたこともある。いまで言う「フェイクニュース」だが、記事が真か偽かにこだわる人はいなかった。掲載の基準はただひとつ、編集長などのスタッフが「おもしろいと思うかどうか」だけだったのだ。

『天國のをりものが 山崎春美著作集1976―2013』  河出書房新社山崎春美山崎春美『天國のをりものが 山崎春美著作集 1976―2013』(河出書房新社)

心の中で、「もうこの人にかかわるのはやめよう」と……

2007年、渋谷区長選に立候補した時の宅八郎さん2007年、渋谷区長選に立候補した時の宅八郎さん

 矢野くん、つまり宅八郎さんに会ったのは、私が「ほぼ本名、ときどき香山リカ」として編集作業やコラム書きをしていた1983年か84年だったと思う。誰にどう紹介されたかは覚えていないが、彼も私と同じように雑誌編集の手伝いやコラム執筆をしている、と言っていた。私より2歳年下ということだったが、細身で洗練された黒いシャツに身を包んだ彼はもっと年少の美大生のように見えた。

 それからそれほど親しくしていたわけではないが、いろいろな場で顔を合わせる機会があり、お互い当時流行っていた日本のテクノ・ポップ好きということもあって、情報交換などをしたと思う。しかし、医学部最終学年を迎えて実習や国家試験対策などをしなければならなかったにもかかわらず『HEAVEN』の編集や原稿執筆がいよいよ忙しくなり、「これじゃ医者になれないかも。どうしよう」と迷っていた1985年、あるとき矢野くんは私にポツリとこう言ったのだ。

 「三軒茶屋のマンション、いいところですね。ゴミ置き場は裏口あたりにあって、収集は〇曜日なんですね……」

 この言葉が何を意味していたのかは、本当のところはわからない。ただ当時、私は三軒茶屋に住んでいたのはたしかで、ゴミ収集の曜日もあたっていた。彼は私の自宅を知っているのだろうか。もしかすると、跡をつけられたのではないか。もしかするとマンションのゴミ置き場に潜入して貼り紙を見たり、これは想像したくもないが、

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