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村上春樹と沢木耕太郎はどこが似ているのか

フィクションとノンフィクションを越境する二人の共通点

神田桂一 フリーライター

 今から半年前くらいに、僕は文庫になって結構経っていた沢木耕太郎のエッセイ『ポーカーフェース』を読んでいた。その中の1編「マリーとメアリー」という文章を読んで、僕は面白い事実に突き当たった。その瞬間、僕の中で何かが腑に落ちたような感覚があった。それは、僕が、今まで抱えていた、形のない思いに、輪郭を与えてくれた事件でもあった。

ブラッディー・マリーで結びついたふたり

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 エッセイはこんな話だ。

 普段はお酒に無頓着な沢木だが、唯一、こだわりを持っているお酒がある。それがブラッディー・マリーだった。それは、初めてハワイ行きの国際線に乗ったときに飲んだもので、それがとてもおいしく感じられ、それ以降、飛行機の国際線に乗る際には、必ずブラッディー・マリーを注文するようになった。沢木は、マリーがフランス語の読み方であるからには、名前の由来は、フランス革命の際、断頭台で処刑されたマリー・アントワネットだろうと思いこんでいたところ、アメリカ人の友人が、メアリーと発音しているのを目撃し、驚く。

 と、いったふうに話は進んでいくのだが、問題はその後だ。2年前、ドイツから日本に戻る飛行機の中で、沢木が普段と同じく「ブラッディー・メアリー」を注文したところ、日本人の客室乗務員にこう指摘されるのである。

 「ムラカミさんと同じなんですね」と。

 まだ文章の中では、このムラカミさんが村上春樹とは、明かされていない。でも、僕は、過去に村上春樹がブラディ・メアリー(村上作品での書き方はこうなる)を飛行機の中で飲むという記述を作品で読んだことがあった。だから、すぐにこれが村上春樹であることはわかったのだ。そして、さらにこうも思ったのだった。ふたりの共通点は、もっといっぱいあるんじゃないか、と。

ニュージャーナリズムの衝撃

 僕は沢木耕太郎と村上春樹にもっとも影響を受けた。そのふたりの著作を一番よく読んでいるからだ。

 沢木耕太郎で一番最初に読んだのは『テロルの決算』だった。衝撃だった。僕がまだ20代で週刊誌の記者をやっていた頃だ。僕が驚いたのは、その物語の構成力だった。それまで、ノンフィクションというものは、事実を淡々と記述するものという認識を持っていた。だが『テロルの決算』は全然違った。そのストーリー性というと、なんだかノンフィクションとして陳腐に聞こえるが、最後の一点に向かっての、必然としかいいようのない展開に圧倒されたのだ。それ以降、各ノンフィクション賞の受賞作をチェックし、過去のものも含めて、ノンフィクションを貪り読むようになった。また、『深夜特急』を読んで、社会人になってからの遅れてきたバックパッカーになったりもした(現在も進行中)。

沢木耕太郎=2020年7月17日、東京都新宿区

 時を同じくして、僕は、記者をやりながら『クイック・ジャパン』という雑誌にライターとして寄稿するようになっていた。その雑誌は、赤田祐一さんという編集者が作った雑誌で、僕はそこに載っているルポが大好きでよく読んでいたのだ。そこに載っているルポは一風変わったものが多く、それが『ニュージャーナリズム』という、その雑誌が掲げていたライティング・スタイルによるものだということは、記事を読み出した当初は、あまり意識していなかった。

 しかし、実際にルポを書かせてもらえるようになったころには、ニュージャーナリズムについても興味を持って、トム・ウルフやゲイ・タリーズ、ハンター・S・トンプソンなどといったアメリカのニュージャーナリズムの代表的な作家の作品を読んだりした。そうすると、点と点が結びつくのは時間の問題だった。沢木耕太郎の存在がここでまた浮上して

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