2020年12月18日
今年はベートーヴェン生誕250年である。「第九」演奏会が各地で企画されたというが、コロナ禍のために多くは実現できずに終わりそうである。
第九初演からすでに200年近い年月が流れたが(1824年初演)、これは今でもくり返し演じられる「現代曲」である。それだけに私には歌詞の意味が気になる。特に「喜びの歌」中頃に出る謎の歌詞の意味が。
ベートーヴェンはシラーの詩「喜びに寄せて」を用いた。
シラーの詩は100行をこえる長いものだが、ベートーヴェンはそのうち冒頭およそ3分の1に、しかも詩行を取捨選択し順序を変えて曲をつけている。大まかに見て第4楽章は、人間の現世・地上での喜びを歌った前半部と、神・創造者等の超越者との関係で喜びを歌う後半部よりなる、と理解していただきたい。
冒頭の歌詞は次のようである(以下、杉田訳)。
「喜びよ、美しい神々の火花よ/楽園の娘よ/〔3、4行目略〕/お前の魔力は、世の習いが/厳しく分けたものを、再び結びつける/お前のやわらかな翼がとどまると、/すべての人は同胞になる」
前半部では以上を含む24行が使われるが、以上の1~2行目「喜びよ……楽園の娘よ」、および7~8行目「お前の……同胞になる」は、後半部でもたびたび登場する。
だが、後半部の主要主題としてくり返されるのは、次の詩句(特に前者)である。
「いだきあえ、幾百万の人々よ!/この口づけを全世界に!/同胞たちよ、天球のかなたに/神が住むに違いない」
「ひざまずいているか、幾百万の人々よ?/創造者を感じているか、世の人々よ?/創造者を天球のかなたに探せ!/星々のかなたに彼は住むに違いない」
ベートーヴェンは原詩の順序を変えたが、それは、ここ後半部で神・創造者といった超越的な存在を登場させるためである。前半で現世的・地上的な喜びを語った後、後半では宗教的な喜びが讃えられる。
「宗教的」といっても来世への願いを込めたものではない。むしろ現世・地上における喜び=神の国(心の平安、世界の平和)の実現を願い、ベートーヴェンは後半部で、「すべての人は同胞になる」、「いだきあえ、幾百万の人々よ!/この口づけを全世界に!」と、何度も歌わせている。
そして、前半部と後半部をつなぐ前半部末尾には――神・創造者等を扱った後半部の前にありながら――超越的な存在についての言及が見られる。それはこうである。
「快楽は虫けらに与えられたが、/ケルビムは神の前に立つ」
このうち「ケルビムは……」は次のようにくり返し歌われ、大音響によって最高度に盛り上がって、前半部は終わる。
「ケルビムは神の前に立つ/ケルビムは神の前に立つ/神の前に立つ、神の前に、神の前に」
しかもここで「ケルビム」にsf(スフォルツァンド=この音を強く)がつけられ、くり返す3回の「神の前に」はいずれもff(フォルテシモ=極めて強く)と指定されている。だがベートーヴェンがここまで強調した「ケルビムは神の前に立つ」とは、いったい何のことなのか?
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