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追悼・小松政夫さん――「俳優」の原点と「人生を重ねて、出てくる言葉」

ペリー荻野 時代劇研究家

英国製スーツで植木等さんの付き人に

横浜へ出てきた直後の小松さん。俳優座養成所の受験用に、写真館で撮影した1枚=本人提供 拡大横浜へ出てきた直後の小松政夫さん。俳優座養成所の受験用に、写真館で撮影した1枚=小松さん提供
 小松さんが、クレージーキャッツの植木等さんの付き人だったことはよく知られている。高校生のときにRKB放送劇団のエキストラで初めて「テレビに映った」小松さんは、俳優を目指して兄のいる横浜に行き、俳優座を受験したものの、養成所の授業料が払えず断念。

 さまざまなアルバイトを経験し、事務機器のセールスをしていた時、営業先の車の販売会社の課長からうちに来ないかと誘われた。その課長が面白い人で、いきなり「空手チョップだよ~ん!」と迫ってくる。その人の期待に応えようと奮闘したところ、トップセールスマンになった。20歳そこそこで給料は今の100万円以上。英国製のスーツに靴まで仕立てて、キャバレーや宴会で大騒ぎする日々の中で「お前は道を間違ったなあ」と言われて、はっと気がついた。

 「俺は役者になりたかったんじゃないか」

 そのとき、たまたま「植木等の付き人募集」記事を見つけ、見事600人の中から選ばれた。ご本人は「見所がありそうだから選ばれたなんて言われるけど、本当は

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筆者

ペリー荻野

ペリー荻野(ぺりー・おぎの) 時代劇研究家

1962年、愛知県生まれ。大学在学中よりラジオパーソナリティを務め、コラムを書き始める。時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」のプロデュースや、「チョンマゲ愛好女子部」を立ち上げるなど時代劇関連の企画も手がける。著書に『テレビの荒野を歩いた人たち』『バトル式歴史偉人伝』(ともに新潮社)など多数。『時代劇を見れば、日本史はかなり理解できる(仮)』(共著、徳間書店)が刊行予定

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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