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オバマはいかにしてオバマになったか~バラク・オバマ回顧録『約束の地』

初のアフリカ系アメリカ人大統領へと自らを駆り立ててきたものは何なのか

三浦俊章 朝日新聞編集委員

やる気のない若者だった十代のころ

 今回の回顧録の中で、オバマは十代の自分をこういうふうに描写している。

 「将来の指導者の芽生えなどは感じられない、むしろやる気のない若者だった。バスケットボールに夢中だったが、あまり才能はなかった。パーティー好きでひっきりなしに出かけていた。友達との話題といえば、スポーツ、音楽、女の子のことだった」

 黒人である父親の不在。白人の母親と祖父母。オバマは二つの世界にまたがりながら生きていた。それは十代の少年の心には重荷だった。自分がどこに所属しているのか分からなくなったのだ。「自分の人生を縫い合わせて、確固たる軸によって位置づけなければ、自分は一生孤独で終わるのではないかという気がした」と振り返る。

 オバマの精神遍歴がこうして始まった。

社会を変えた運動・人物に興味を抱いて

拡大オバマ当選を伝えるニューヨークタイムズ紙の1面=2008年11月5日
 最初に入った大学は、カリフォルニア州のオクシデンタル・カレッジという小規模な大学だった。多様な人種の学生がいた。オバマは高校時代から読書の楽しさに目覚め、そのおかげでなんとか高校を卒業し、大学へとたどり着いた、と回顧している。当時の自分は「政治については薄っぺらな知識と生半可な意見しか持ち合わせていなかった」

 確かに本は読んだ。しかし、それは女性を誘おうと知識をひけらかすための読書だった、という。オバマは回顧録の中でそのことを率直に書いている。

 足の長い社会主義者の女子学生にもてようとカール・マルクスを読んだ。肌のすべすべした社会学専攻の女子学生に気に入られようとアフリカの思想家フランツ・ファノンにも挑戦した。だが、こうした戦略はことごとくうまくいかなかった。

 青年オバマは同時に、社会を根底から変えた運動や人物に興味を持ち始めていた。インド独立の父マハトマ・ガンジー、冷戦下のポーランドで自主管理労組「連帯」を率いたレック・ワレサ、南アフリカの人種隔離政策を止めさせたアフリカ民族会議(ANC)、そして特にキング牧師をはじめとするアメリカの公民権運動の指導者たちだった。どれも普通の人々が参加して力を合わせ、社会を変革した事例だった。そしてそこに、ふたつの世界にまたがった自分を縫い合わせる可能性を見たのだった。

 政治とは、高みから来るものではない。物質的な条件を向上させるだけでなく、人々の尊厳、コミュニティーの尊厳を与え、失われた絆を取り戻すものだった。これが本当のデモクラシーだ、そして自分が求めていたものだったと気づいた。

 学ぶべき目標は定まった。あとは集中することだった。

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筆者

三浦俊章

三浦俊章(みうら・としあき) 朝日新聞編集委員

朝日新聞ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長などを経て、2014年から現職。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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