【1】「ランボー」の原作を読んでみた
2021年01月10日
AmazonプライムやNetflixなどの普及によって、映画が手軽に見られるようになりました。新作だけでなく、昔、映画館やテレビで観た映画、見逃していた名作などもスマホで観られます。映画がこれほど身近になった時代は、かつてなかったでしょう。
が、映画の原作はどうかというと、映画に比べれば意外と読まれていません。原作が読まれていないのは、多くの人が「映画を観てわかったつもり」になっているからでしょうが、本当に映画を観ただけで、原作はわかるのでしょうか。
本連載は、そんな疑問に答えるものです。これを読めば、原作を読まなくても「わかったつもり」になれます!
まず第1回目はシルヴェスター・スタローン主演の人気シリーズで完結編が昨年公開された『ランボー』をとりあげます。
ランボーの原作を読もう。ランボーシリーズの最新作『ランボー ラスト・ブラッド』を映画館で観た帰り道、私はそう思った。70代の高齢者になったランボーを見て、若い頃のランボーが懐かしくなったのだ。
が、昔のランボー映画を観ようとは思わなかった。もう何度も観ているからである。映画館でも観たし、テレビでも観たし、レンタルビデオでも観たし、動画配信サービスの会員になったのもランボーが観たくなったからだ。私は人生の要所要所でランボーを観てきたのである。
それで、今度は映画『ランボー』(1982年)の原作になった小説を読むことにした。原作の小説を読むことで、ランボーの違った一面が見えるかもしれない。そう思ったのである。
映画『ランボー』の原作は、デイヴィッド・マレルの小説『一人だけの軍隊』である。デイヴィッド・マレルは1943年生まれ。ホラー作家としても有名で、「吸血鬼ドラキュラ」の作者の名を冠したブラム・ストーカー賞も受賞している。1972年、『一人だけの軍隊』を発表し、一躍、人気作家となるのだが、この小説はマレルが初めて書いた長編で、大学院に籍を置いていた20代の後半に3年の月日を費やして書いたという。
マレルはこの作品でベトナム帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の問題を扱っている。ニクソン大統領が「ベトナム戦争の終結」を宣言したのは1973年1月29日。マレルがこの作品を発表した時、ベトナム戦争はまだ終わっていなかったわけだが、PTSDの問題はすでに顕在化していたのである。
この作品は戦闘シーンのリアルな描写が読みどころとなっているが、マレルに従軍経験があるわけではない。マレルはかなりのインテリで、作家活動を続けながら、「アメリカ文学と近代文学」の講座をもつ大学教授も勤めている。70代になっても銃を持って戦い続けるランボーとは違う人生を選んだのだ。
私の手元にある『一人だけの軍隊』は沢川進訳のハヤカワ文庫版である。『一人だけの軍隊』というタイトルは邦題で、原題は「First Blood」である。映画のタイトルは国によって異なり、アメリカ、イギリスなどの英語圏では『First Blood』で公開されたが、その他の国では『Rambo』だった。ランボーシリーズはその後、『ランボー/怒りの脱出』(原題は「Rambo : First Blood Part II」)、『ランボー3/怒りのアフガン』(原題は「Rambo Ⅲ」)と続くが、4作目の『ランボー/最後の戦場』はややこしく、アメリカではこの作品が『Rambo』となっている。また、1作目との混乱を避けるため、『John Rambo』としている国もある。
「First Blood」には格闘技の試合での「流血戦の始まり」といった意味がある。プロレスでいうと、「おーっと、猪木の額が割れました。流血です。流血戦になりました」という時、この言葉を使う。映画では、ランボーが無線でトラウトマンに「やつらが先にからんできた」と訴えるシーンでこの言葉が出てくる。
顔と体型はよく似ているが、性格は全然違う。そういう親子もいるものだが、小説『一人だけの軍隊』と映画『ランボー』の関係もそうである。両者はよく似ているが、中身は全然違う。
まず、映画『ランボー』から見てみよう。
映画『ランボー』の公開は1982年(アメリカでは10月、日本では12月)。監督はテッド・コッチェフ、主演はシルヴェスター・スタローンである。スタローンはロッキーシリーズの大ヒットで人気俳優となり、ランボーシリーズの大ヒットでその地位を不動のものとする。
物語の舞台はアメリカ西海岸最北部、ワシントン州のホリデータウンである。「西海岸」というとリベラルなイメージがあるが、この町は保守的で閉鎖的な田舎町である。主要な登場人物は、ベトナム帰還兵のジョン・ランボー、保安官のティーズル、ランボーの元上官にあたるトラウトマン大佐の三人。
ランボーは元グリーンベレーの隊員でゲリラ戦のスペシャリスト。ベトナム戦争に従軍し、数々の武勲を残した「戦争の英雄」なのだが、帰還後は社会に溶け込めず、孤立し、社会の底辺を彷徨う。また、北ベトナム軍の捕虜収容所で拷問を受けた過去があり、それがトラウマになっている。
ティーズルはホリデータウンの保安官。「この町では俺が法律だ」と言い放つ傲慢な男である。また、縄張り意識が強く、よそ者、流れ者を敵視している。この物語はランボーとティーズルの対立を軸に展開する。
トラウトマンは国防総省から派遣されてやってきたグリーンベレーの大佐。ランボーを訓練し、戦場で共に戦った上官であり、戦争で心に傷を負ったランボーのよき理解者でもある。この物語ではランボーとティーズルの間に立ち、事態の収拾を図ろうとする。
1981年12月、カーキ色の野戦用ジャケットを着たジョン・ランボーが戦友に会うためにワシントン州を訪れる。が、戦友の母親はランボーにこう告げる。「死んだわ。去年の夏にね。ガンよ。ベトナム戦争の
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