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「演劇はなぜ存在するのか」を問いながら

コロナ禍の中で考える、演劇の現在と未来【上】

瀬戸山美咲 劇作家・演出家

 コロナ禍の中で、最も苦しんできた分野の一つが舞台芸術だ。多くの人が集まり、同じ空間で同じ時間を生きる。その土台をウイルスに直撃される中で、演劇人は何を考え、どう行動したのか。2020年を振り返りながら、劇作家・演出家の瀬戸山美咲さんにつづってもらった。

2月28日の自粛要請、環境が一変した

 11月末、自分がかかわる演劇公演がふたつ開幕した。ひとつは戯曲を担当した『オレステスとピュラデス』(KAAT神奈川芸術劇場)、ひとつは戯曲と演出を担当した現代能楽集X『幸福論』(シアタートラム=東京都世田谷区)。首都圏でお客様を入れた公演をおこなうのは実に1年ぶりのことだった。

KAAT神奈川芸術劇場で上演された『オレステスとピュラデス』(瀬戸山美咲作、杉原邦生演出)の鈴木仁(左)と濱田龍臣=細野晋司撮影
『オレステスとピュラデス』は2021年1月3日まで映像配信される

 2月28日に政府から大規模イベントの自粛要請が発表され、演劇を取り巻く環境は一変した。その日から今日まで「なぜ演劇は存在するのか」ということを考え続けている。

 2011年に東日本大震災と福島第一原発事故が起きたときは、「演劇に何ができるか」を考えた。傷ついた人の心を癒す、社会問題を分かち合う、亡くなった人を鎮魂する。当時は、みなそれぞれの目的を持って演劇を続けた。

 しかし、コロナウイルスの感染拡大は人が一箇所に集まるという演劇の形態そのものを難しくした。上演自体ができない。観客にとっても製作する人間にとっても失うものは多かった。

 けれど、それを補償するものはなかった。そして、支援を得るには「なぜ演劇が必要なのか」を言語化することが求められる。第三波が押し寄せる今も演劇をめぐる状況は非常に厳しい。東京で主に活動する劇作家・演出家として、ここまでの約10カ月を振り返りながら、演劇の現在と未来について考えていきたい。

 2月28日、私は3月上旬に埼玉県東松山市で上演する市民参加劇の稽古中だった。会場は公共ホールでお客様は高齢者が多いことが予測されていた。

 即座に、無観客上演に切り替えて映像収録だけおこなうことが決まった。コメディ要素のある作品だったため、笑い声の起きない収録はつらいものがあった。演劇とは、いつでも「その場で生まれるもの」であり、そこではお客さんの反応が必須だ。反応は笑いだけではない、お客さんが集中して観るというその空気も作品をつくっていく。とはいえ、映像で残せただけでもよかったかもしれない。実際には稽古途中で中断せざるをえなかったカンパニーもたくさんあった。

 それでも3月中はすぐに上演を再開できるだろうというムードも漂っていた。しかし、事態は悪化の一途を辿り、このまま要請にしたがって自粛しているだけでは演劇業界は潰れてしまうことがわかってきた。

 そこで3月末に、この「論座」にも寄稿し現状を訴えていた劇作家・演出家・俳優のシライケイタさんらと舞台芸術関係者の署名を集め、文化庁と内閣府に補填を求める要望書を提出した。しかし、そのときも今も補償・補填をしないという政府の姿勢は変わらない。手応えを感じられないまま、次の手を打つことができず私は立ち止まってしまった。

初めて足を踏み入れた議員会館

 その頃、8月におこなう予定だった自分のカンパニーの公演の中止を決めた。いつもより規模の大きい劇場での公演だったため、感染症対策を十分に取りながら上演することは困難だと判断した。また、公演直前に中止になった場合、大きな負債を抱えることが見えていた。間も無く、ほかにもかかわっていた公演がいくつか延期・中止となった。

 それでも劇作家は未来の仕事を進めることができる。公演中止になって苦しかったのは、俳優やスタッフなど現場がなければ仕事自体がなくなる人たちだ。

 その頃、私は週に1回、リモートで身近な俳優やスタッフたちとただ話をする会をしていた。緊急事態宣言によりアルバイトも減ってしまったという俳優の声を聞き、早急に何とかしなければならないと思った。たとえば、演劇の収入とアルバイトの収入合わせて月15万円で生活していた俳優の収入が10万円になった場合、持続化給付金の対象にもならない。地元に帰った、劇団を解散した、などの声も聞こえ始めた。

 4月、私も所属する日本劇作家協会、それから日本演出者協会、日本劇団協議会が中心になり、政府に支援を求める演劇緊急支援プロジェクトが立ち上がった。観客を含めたすべての人たちに向けて署名活動を開始し、舞台監督・美術・照明・音響・制作などの各スタッフ団体や児童演劇・観劇サポートの団体など約30団体も参加することになった。

 同じ演劇業界とはいえ、職種を超えて横断的につながることはこれまでなかったと思う。それから、同じく署名やクラウドファウンディングの活動をおこなっていたミニシアター支援の「SAVE the CINEMA」とライブハウス・クラブ支援の「Save Our Space」と合流し、演劇・映画・音楽の三者合同キャンペーン「#WeNeedCulture」を立ち上げた。

 第二次補正予算が決まる直前の5月22日、文化庁・文部科学省・経済産業省・厚生労働省に要望書を提出し、前後してWEBシンポジウム、リレートーク番組をおこなった。その後、予算が成立した後は具体的な内容について文化庁・財務省、そして各党の議員のみなさんと意見交換を重ねた。

政府に要望書を手渡す日本劇作家協会会長の渡辺えりさん=2020年5月22日、東京都千代田区の衆議院第1会館

 こうして、文化芸術活動の継続支援事業が決まり、3回にわたる募集が始まった。フリーランスのアーティストが受けられる支援だ。しかし、自己負担金が必要だったり申請が複雑だったりと決して使い勝手がよいものではなかった。その後も制度の改善を訴え、4回目の募集もおこなうことになり先頃締め切られた。さらに、第三次補正予算による支援についても、議員・省庁のみなさんと意見交換を続けている。

「なぜ演劇は存在してきたのか」を考える

 活動の中で感じているのは、議員の人も省庁の人も思っていた以上に現場の声を聞いてくれるということだ。

省庁要請についての記者会見で司会をする筆者=2020年5月22日、東京都千代田区の衆議院第1会館
 私は、これまで議員会館や省庁に足を踏み入れたことは一度もなかった。どこか閉ざされたイメージがあった。しかし、会って話をすることには意味があった。現場で起きていることを知っているのは現場にいる人間だけだ。それを伝えずして想像してほしいというのは無理な話だった。少しずつではあるけれど制度が改善されていくのを見て、これまでこのような活動を続けてきた上の世代の人たちからきちんと引き継いでいかなければという思いも生まれた。

 議員会館に通い文化芸術への支援を訴える中で、日本の文化行政のあり方自体についてあらためて考えるようになった。日本の文化予算は他の先進国に比べるとかなり低い。そして、一般的にも文化芸術が人間に必要不可欠なものであるという認識が極めて乏しい。その認識を変えるために、議員のみなさんには国会で文化の必要性を話してもらい、私たちも世論形成のための活動を続けてきた。

 そして「なぜ演劇は必要なのか」に戻る。

 これは本当に言葉にするのが難しい。

 今、直接的に人の命を救うための仕事は必須だ。人の生活を支える仕事も必須だ。そして、すべての業界が困窮している。その中で、演劇や文化芸術だけが助かろうとは思わない。でも、演劇も必要だ……とまずは小さな声でつぶやきたい。とはいえ、そもそも演劇や文化芸術は「必要」「不要」という括りで考えるものなのだろうかとも思う。

 ただ、どんな時代も演劇や文化芸術は存在してきた。存在してきた理由はどこかにあるはずだ。「なぜ演劇は必要なのか」を言語化するには「なぜ演劇は存在してきたのか」を考える必要がある。

“体験”を通して見つめる、他者、自分、社会

 演劇緊急支援プロジェクトに参加して、さまざまな団体の窮状を聞く中で、特に学校公演をおこなう劇団が厳しい状況にあることを知った。実演家たちが学校という場所へ入ること自体が難しいため、多くの公演が中止になった。つまり、子どもたちが演劇に触れる機会がなくなったということだ。これは大きな損失だ。

 演劇というのは、限られた人のものではない。人件費などによりチケット代がどうしても高くなるため、一部の人のもののように見えているかもしれないが、本来は社会全体の共有財産だ。演劇に支援が必要と私たちがいうのは、チケット代を抑えてみんなが作品を共有できるようにするために必要だからだ。それが難しい状況では、学校などで演劇を観ることが貴重な経験となる。

 古代ギリシャの時代から、演劇は社会に存在してきた。演劇を通して人間は自分以外の誰かの人生を生き、想像し、分かり合えない他者とどのように社会を構成していくかを模索してきた。

 もちろん、映像や書物でも他者を知ることはできる。しかし、演劇はそれを身体で知ることができる。実際、演劇を観ることは結構疲れる。目の前で泣いている人がいる、怒っている人がいる、そのエネルギーを受け止めざるを得ない。そして、気がつけば役者の呼吸を感じながら自分も呼吸している。古代から人々は演劇の“体験”を通して、他者と出会い、自分を知り、社会を見つめてきた。

 そんなふうに考えるのは、奇しくも自粛期間中に前述の『オレステスとピュラデス』そして現代能楽集X『幸福論』という古典を題材にした二作品を執筆したからだった。(続く、【下】は12月31日正午に公開します)