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『劇団つかこうへい事務所』解散後、僕たちは

心地よい距離で続いたつきあい

長谷川康夫 演出家・脚本家

劇団の解散、それぞれの道

 1982年、『劇団つかこうへい事務所』の解散により、渋谷のビルにあった事務所はその年いっぱいで引き払われた。ほぼ3年間、僕はつかの原稿仕事の手伝いのため、他の劇団員とは少し違う形でそこに通ったが、その日課からも解放されたわけだ。

拡大酒井敏也=2007年撮影
 年明けから、つかは自由が丘の自宅マンション近くに借りた一室を個人事務所とし、秘書として渋谷時代から江美由子だけが残った。劇団の事務長役だった岩間多佳子は、新たに「岩間事務所」を起こし、つかの仕事を補助すると共に、僕と酒井敏也を抱えた俳優事務所としての活動を始めることになった。酒井はつかの運転手も続けていた。

 そんな形はすべてつかが決め、僕がこの先、執筆のアシスタントを務めることも、すでに了解事項だった。このメンバーに関しては、それまでの役割とあまり変わりはなかったということだ。

 違うのは、この先ずっと舞台公演の予定がないだけだった。そして僕とつかの関係性のようなものも、どこか変わってきていた。

 これまでは表面的ではあっても、どこか大先生に付き従う書生といった立場に近かったのが、ある種の上下関係は保たれた上で、仕事を依頼され、私的にもかなり親密な付き合いのある後輩とでも言うべき存在なったような気がする。

 劇団内で芝居に使ってもらう役者――という括りが解けたせいもあるだろう。僕はこの頃から、つかに対しての軽口、冗談めかした批判や皮肉を、平気で口に出来るようになっていく。

 平田満、石丸謙二郎、高野嗣郎、萩原流行の4名は、つか事務所でマネージメントを担当していた南都志子が82年の春に独立して事務所を起こし、そこの所属となっていたから、つかと日常的に付き合いがある元劇団員は、ほぼ僕だけと言ってよかった。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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