心地よい距離で続いたつきあい
2021年01月02日
1982年、『劇団つかこうへい事務所』の解散により、渋谷のビルにあった事務所はその年いっぱいで引き払われた。ほぼ3年間、僕はつかの原稿仕事の手伝いのため、他の劇団員とは少し違う形でそこに通ったが、その日課からも解放されたわけだ。
そんな形はすべてつかが決め、僕がこの先、執筆のアシスタントを務めることも、すでに了解事項だった。このメンバーに関しては、それまでの役割とあまり変わりはなかったということだ。
違うのは、この先ずっと舞台公演の予定がないだけだった。そして僕とつかの関係性のようなものも、どこか変わってきていた。
これまでは表面的ではあっても、どこか大先生に付き従う書生といった立場に近かったのが、ある種の上下関係は保たれた上で、仕事を依頼され、私的にもかなり親密な付き合いのある後輩とでも言うべき存在なったような気がする。
劇団内で芝居に使ってもらう役者――という括りが解けたせいもあるだろう。僕はこの頃から、つかに対しての軽口、冗談めかした批判や皮肉を、平気で口に出来るようになっていく。
平田満、石丸謙二郎、高野嗣郎、萩原流行の4名は、つか事務所でマネージメントを担当していた南都志子が82年の春に独立して事務所を起こし、そこの所属となっていたから、つかと日常的に付き合いがある元劇団員は、ほぼ僕だけと言ってよかった。
その〝付き合い〟の最たるものが麻雀だった。
僕以外の不動の面子(めんつ)は、フジテレビのディレクター高橋和男と李家(りのいえ)芳文。80年のドラマ『弟よ』で出会った二人である。僕の知る限り、つかが仕事やその立場と一切関係なく、純粋な「友人」として触れ合ったのは、生涯に亘って彼らだけだったように思う。
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