平田満、風間杜夫の快挙に興奮
2021年01月03日
1982年末に解散した『劇団つかこうへい事務所』。その後のつかと筆者を含む俳優たちは――後編です。前編はこちら。
さて、1983年、自らの演劇活動に前年で区切りをつけ、小説の執筆に邁進するはずだったつかだが、結局、自らが表明してみせた、筆一本の作家生活という形にはならなかった。舞台からは離れても、映像関係の仕事が次々と舞い込んだからだ。
岩間多佳子の記憶では、僕は1月5日から、都立大近くの岩間のマンションで、つかの新しい原稿仕事を開始したという。そこは渋谷に移る前までの『つかこうへい事務所』が置かれていた場所だった。自由が丘まではひと駅。つかの自宅には歩いても行ける距離である。
与えられた仕事は『スタントマン物語』という小説で、元々は映画原作として松竹から依頼されたものだ。
カースタントのアクション事務所を経営する男と、その弟子として訓練 に励む若いスタントマン、そして家政婦としてやって来てスタントに興味を持つようになる女、その三角関係を描くラブストーリーと言っていいだろう。
その三人には、千葉真一、真田広之、志穂美悦子が想定されているとのことで、前年の『蒲田行進曲』の大ヒットに気をよくした松竹が、かなり前のめりで、つか作品の映画化を望んでいるのがわかった。
僕はアクションクラブの取材なども行かされ、スタントを仕事とする人たちから、あれこれ話を聞いたりした。
つかも作家専念の第一作として気合が入っており、執筆は順調に進んだ。
しかし原作となる小説が書き上がっても、結局このとき、その映画化は見送られてしまった。理由はわからない。まぁ映画の世界ではよくある話だ。
小説『スタントマン物語』は角川書店の『野性時代』6月号に掲載されたあと、11月にカドカワノベルズで単行本となり、『この愛の物語』とタイトルが変わっている。
そして87年に、つかの脚本によって、そのタイトルでようやく映画化されるのだが、キャストは、中村雅俊、近藤真彦、藤谷美和子というものだった。
第6回日本アカデミー賞の授賞式が行われたのは、たしかその小説の完成間近ではなかったか。『蒲田行進曲』が主な最優秀賞を総なめにしたそれを、僕は自分の部屋のテレビで一人観ていた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください