メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

無料

『蒲田行進曲』が日本アカデミー賞を独占した夜

平田満、風間杜夫の快挙に興奮

長谷川康夫 演出家・脚本家

 1982年末に解散した『劇団つかこうへい事務所』。その後のつかと筆者を含む俳優たちは――後編です。前編はこちら

次々舞い込んだ映像の仕事

 さて、1983年、自らの演劇活動に前年で区切りをつけ、小説の執筆に邁進するはずだったつかだが、結局、自らが表明してみせた、筆一本の作家生活という形にはならなかった。舞台からは離れても、映像関係の仕事が次々と舞い込んだからだ。

 岩間多佳子の記憶では、僕は1月5日から、都立大近くの岩間のマンションで、つかの新しい原稿仕事を開始したという。そこは渋谷に移る前までの『つかこうへい事務所』が置かれていた場所だった。自由が丘まではひと駅。つかの自宅には歩いても行ける距離である。

拡大つかこうへい=1986年撮影
 何日かに一度、これまで通り、つかによる内容の指示を確認しながら、平日は岩間の部屋で原稿用紙を拡げるのが、新たな僕の日課となった。

 与えられた仕事は『スタントマン物語』という小説で、元々は映画原作として松竹から依頼されたものだ。

 カースタントのアクション事務所を経営する男と、その弟子として訓練  に励む若いスタントマン、そして家政婦としてやって来てスタントに興味を持つようになる女、その三角関係を描くラブストーリーと言っていいだろう。

 その三人には、千葉真一、真田広之、志穂美悦子が想定されているとのことで、前年の『蒲田行進曲』の大ヒットに気をよくした松竹が、かなり前のめりで、つか作品の映画化を望んでいるのがわかった。

 僕はアクションクラブの取材なども行かされ、スタントを仕事とする人たちから、あれこれ話を聞いたりした。

 つかも作家専念の第一作として気合が入っており、執筆は順調に進んだ。

 しかし原作となる小説が書き上がっても、結局このとき、その映画化は見送られてしまった。理由はわからない。まぁ映画の世界ではよくある話だ。

 小説『スタントマン物語』は角川書店の『野性時代』6月号に掲載されたあと、11月にカドカワノベルズで単行本となり、『この愛の物語』とタイトルが変わっている。

 そして87年に、つかの脚本によって、そのタイトルでようやく映画化されるのだが、キャストは、中村雅俊、近藤真彦、藤谷美和子というものだった。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

長谷川康夫の記事

もっと見る