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南直哉『死ぬ練習』――「自分を大切にしない」姿勢とは何か

死をめぐる「錯覚」を解毒する

佐藤美奈子 編集者・批評家

コロナ禍のもと、死について考える機会が増え……

 最初に個人的事情を述べることを許していただきたい。介護施設のデイサービスを週2回利用していた老母の要介護度が進み、昨年の春(2020年3月)から自宅を完全に離れて介護医療院に入ることになった。入所直前には肺炎を起こし、一時的だったがいのちの危機にもさらされた。また、直後にコロナ禍に見舞われたため、施設側は来訪者の面会を断っており、母には9カ月以上会うことができていない。

 こういう事態が身近に起こると、やはり、死について考える時間が増える。コロナ禍のもとでは施設に入った家族の死に目に会えないどころか遺体にも会えない、といったニュースを耳にするにつけ、死という言葉はいっそうリアリティをもって迫ってくる。

南直哉著『死ぬ練習』(宝島社)拡大南直哉著『死ぬ練習』(宝島社)=筆者提供
 家族の死後の具体的な光景を想像する機会が多くなり、さらには自身が迎える死について、ああでもないこうでもないと堂々巡りの思考を繰り返す。目前の仕事の多忙さをよそに、死が呼ぶイメージに頭の中が占められていた折、書店で目に飛び込んできた一冊があった。南直哉著『死ぬ練習』(宝島社)である。

 かつて、同じ著者による『超越と実存――「無常」をめぐる仏教史』(新潮社)を読んで、僧侶としての実践に裏打ちされた言葉と、あまりにも潔い立場に感銘を受けたことがある。

『超越と実存――「無常」をめぐる仏教史』(新潮社)拡大南直哉著『超越と実存――「無常」をめぐる仏教史』(新潮社)=筆者提供
 潔い立場というのは例えば、「世の思想には仏教と仏教以外しかない」という言葉に現われている。青森県の恐山菩提寺で院代(住職代理)を、福井県霊泉寺で住職を務める著者が強調するのは、仏教最大の特質と言える「無常」という考えだ。世界に流布するさまざまな思想のなかでも、「無常」という考えは特異であり、現代人の生き方に有意義な処方箋を与える場面が多いことが、その本では示されていた。

 かつての日本ではとくに、会社やムラの一員であることが個人のアイデンティティを保障する側面が大きかった。それが現代では変質し、グローバル資本に席巻された世の中を、剥き出しになった「個」として生きざるを得ない人が増大している。「無常」を観ずる行為は、そのような「個」を生き抜くときの助けになるのだと私には読め、大いに学んだ。

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筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです